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2019年度(第20回)牧野邦昭氏「経済学者たちの日米開戦」(新潮選書)

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【著者寄稿】「正確な情報」生かすには 制度設計とヴィジョンの必要性

 近年、事実ではない「フェイクニュース」が社会に大きな影響を与える危険性が指摘されている。事実に基づく正確な情報が大事であることは言うまでもない。しかし情報が正確でありさえすれば、より良い選択ができるのだろうか。

 情報にはそれが発せられる場面とそれを利用する場面とがある。そして発せられる情報が正確に受け手に伝わっても、情報が発する側の考える意味とは別の意味に解釈され、全く意図しない行為につながってしまうかもしれない。読売・吉野作造賞をいただくことになった拙著『経済学者たちの日米開戦――秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』が扱ったのはこうした問題であった。

 副題にある「秋丸機関」とは一九四〇年から四二年にかけて活動した陸軍省戦争経済研究班の通称である。有沢広巳や中山伊知郎ら、戦後に活躍する多くの経済学者・統計学者を動員して日本のほか英国・米国・ドイツなど主要国の経済抗戦力を調査したこの陸軍内の組織は、太平洋戦争開戦前の四一年七月頃に上層部に報告を行った。その報告書は既に対米開戦を決意していた陸軍にとって都合の悪いものだったので焼却されたと言われてきたが、近年実物が次々に見つかった。

 その内容は確かに対米開戦の困難さを指摘していると読めるものであったが、同様の指摘は他の陸軍内の研究や内閣直属の総力戦研究所などでもされており、そもそも日本と米国との国力の隔絶は当時の常識であった。正確な情報自体は日本の指導者も国民も知っていたわけであり、問題は「正確な情報を知りながらなぜ対米開戦というハイリスクな選択が行なわれたのか」ということになる。

 そのようなことが起きた理由は簡潔に言えば「制度設計」と「ヴィジョン(目標、方針)」の問題ということになるだろう。かつて政治学者の丸山眞男は日本の意思決定のあり方を「無責任の体系」と呼んだが、誰が責任者なのか明確でなく、かつ将来のヴィジョンも明確でない組織では、余裕の無い状態に置かれた場合、組織内外の「雰囲気」「空気」に流されてリスクの高い意思決定がされることがしばしばある。そうした状況では、正確な情報が存在していたとしてもそれが都合のよいように「つまみ食い」され、極端でハイリスクな選択の材料となってしまう。

 大きく変動する国際情勢の中で国の針路を明確にできず、政治新体制の確立に失敗し有力な指導者が不在の日本は、米国からの経済制裁により「ジリ貧」になることへの焦りと、強硬化するマスコミと世論に煽(あお)られ、正確な情報がありながらもハイリスクな対米開戦を選んでしまったと考えられる。

 今後は人工知能(AI)の発達により正確な情報を得ること自体は容易になっていくだろう。しかしAIに指示を与え、得られた情報を用いて行動するのが人間である以上、人間が情報をどう扱うかが重要であることに変わりはない。さらにインターネットの発達、特に近年のビッグデータを用いたマーケティングにより情報がますます人々に都合のよいように「つまみ食い」されるようになり、それが世論にも影響しているとも指摘される。

 各国におけるポピュリズムと「自国ファースト主義」の台頭という現在の状況は、世界が戦争へと向かっていった一九三〇年代を想起させる。その中でより良い選択をしていくためにどのような制度設計をし、どのようなヴィジョンを社会で共有していけばよいのか、今後の研究を通じて考えていきたい。

(2019年7月15日朝刊) 


中央公論(2019年7月号)の「受賞のことば」

牧野邦昭(まきの・くにあき)氏
1977年生まれ。東京都出身。京都大学経済学研究科経済システム分析専攻博士課程修了。摂南大学経済学部准教授。専攻は近代日本経済思想史。


 太平洋戦争の前、陸軍は一流の経済学者を集め、日本と英米独の国力差を調査させていた。通称・秋丸機関。開戦に至ったのは、その無謀さを指摘した報告書を陸軍が握りつぶしたからだ、というのが通説だった。 だが、受賞作「経済学者たちの日米開戦」は、報告書が広く知られた事実で構成されていたとし、問題は意思決定の過程や力学にあったことを、経済学などの知見から示した。同時に秋丸機関の全貌(ぜんぼう)を明らかにし、評価された。「正確な情報が正しい判断につながるとは限らない」。現代に通じる論点だとの思いを込めた。学者も無関係ではなく、何ができるか、いつの世も考えていなければならないと思う。「経済学は経世済民の学」と信じるからだ。

 そう意識し始めたのは、筑波大付属駒場中(東京)での授業がきっかけだ。公民でケインズ経済学の基礎を教えられ、理論で世の中を良くしていけることに感心し、後に東大と京大で経済学を学んだ。研究の魅力は、本や史料から新たな事実を発見し、現代に通じるテーマを考えること。今後は研究対象の時期を遡り、経済学者の主張と現実の政策との関連を探る。「日本がなぜ戦争に進んだか、経済思想を通じて考えていきたい」(文化部 小林佑基) 

(2019年6月18日朝刊) 

 第20回「読売・吉野作造賞」の贈賞式が16日、東京・丸の内の東京会館で行われ、受賞作「経済学者たちの日米開戦」(新潮選書)を著した牧野邦昭・摂南大学准教授(42)=写真=に、正賞の文箱と副賞300万円が贈られた。 学界や出版界から約150人が出席。読売新聞グループ本社の老川祥一・取締役最高顧問・主筆代理は、「本書を読むと、エビデンス(論拠)があっても組織の判断が間違ってしまうということに得心がいき、怖い話だと改めて感じる」とあいさつした。選考委員会で座長を務めた猪木武徳・大阪大名誉教授は「経済学の視点から近現代史を解釈し直し、刺激を与えてくれた作品。(この本が出たことは)社会研究の将来にとってもいいことだった」と評価した。 牧野氏は「本作では行動経済学や社会心理学などを使い、間違った判断に至る過程を考察したが、それだけで十分だとは思っていない。今後も研究を深めていきたい」と述べた。

(2019年7月17日朝刊) 

選評:非合理な開戦 新資料で論証

 なぜ日本は勝算の極度に低い米英両国との戦争に踏み切ったのか。開戦決定に経済学者による抗戦力測定は影響を与えたのか。本書は、この二つの問いに精緻(せいち)な論証で答えようとした力作だ。 検討対象は、陸軍省主計課別班「秋丸機関」による、英・米、ドイツ、日本の経済力を分析した報告書と研究に参加した有沢広巳らの役割である。著者は、現時点で得られる資料では、杉山元・参謀総長が報告書の廃棄を命じ、すべて焼却されたという有沢証言は事実を述べたものではない、と結論付ける。 ドイツに関する報告書は、南方侵攻を主張した陸軍省軍務局の意向を反映したものであり、ソ連を攻める北進を批判する材料となり得た。事実、石油を絶たれた日本は北進を断念し、1941年9月6日の御前会議で、対米戦争を辞さずとの結論を下す。非合理的とも見える行動の合理的な論証には限界があるが、日本は統一的な戦略を持てず、陸軍はソ連陸軍を、海軍は米海軍を仮想敵とする従来の思考法を克服できなかったとの指摘は的確だ。 新資料を丁寧に読み込み、国家の政策決定の実情を明晰(めいせき)に語った高い学術的価値をもつ作品である。(猪木武徳)

(2019年7月17日朝刊) 
■選考委員 (敬称略)
猪木武徳(大阪大学名誉教授)=座長
山内昌之(武蔵野大学特任教授)
北岡伸一(国際協力機構理事長)
白石隆(熊本県立大学理事長)
吉川洋(立正大学学長)
老川祥一(読売新聞グループ本社代表取締役最高顧問・主筆代理)
松田陽三(中央公論新社代表取締役社長)


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1588681 0 読売・吉野作造賞 2020/10/29 20:24:00 2021/02/12 13:35:47 2021/02/12 13:35:47 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/10/20201029-OYT8I50111-T.jpg?type=thumbnail

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