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著者・小峰隆夫氏に聞く「平成の経済」停滞はなぜ長期化したか 

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POINT
■バブル発生から崩壊、その後の日本経済の長期停滞は、社会全体が経済の深刻な問題点を認知するまでタイムラグがあったことに起因する。

■タイムラグによって公的資金の投入による不良良債権の抜本処理も遅れた。財政政策と金融緩和だけで乗り切ろうとした政府の政策は甘すぎた。

■小泉内閣の不良債権抜本処理はデフレ対策として行われ、効果がなかったことがその後の量的緩和の引き金になった。

■認知のタイムラグは今もある。オーソドックスな専門家の意見を政策に取り入れる仕組みが必要だ。

取材・構成 調査研究本部 丸山淳一 

 経済政策は、社会全体が問題をどう認識しているかに左右されるが、社会全体が直面する問題を認知するまでには、どうしても時間がかかる。認知のタイムラグは政策のタイムラグにつながり、必要な政策が遅れてしまう。『平成の経済』で私が最も主張したかったのは、この「社会的認知のタイムラグ」の問題だ。

 バブル経済の発生と崩壊、その後の停滞は、このタイムタグに経済政策が大きく左右された結果といえる。

 バブルが発生しているのに、「これはバブルだ」と気付くのが遅れた。バブルが崩壊した後、「これはとんでもない問題になる」と気付くのも遅れた。

 この結果、金融機関の不良債権の抜本処理が先送りされ、日本経済の停滞が長期化することになった。

 国民経済計算によると、株価と地価の高騰で平成元年(1989年)には同年の日本の名目GDP(国内総生産)を上回る516兆円ものキャピタルゲイン(資産の値上がり益)が生じている。〈第1章P8「想像を絶するバブルの規模」より〉

 バブルの恩恵は高所得者層に偏り、社会的不祥事が生じたことで、バブルつぶしを求める世論が高まった。1989年12月に日銀総裁に就任した三重野康氏は、バブルつぶしのために急テンポで金利を引き上げ、「平成の鬼兵」と呼ばれた。しかし、バブルつぶしに引きずられ過ぎて、バブルの後遺症を少なくするための金融緩和は遅れた。

 しかも、当時は景気の悪化ばかりが注目され、日銀は「景気が悪い時には金利を下げる」という通常の対応だけでしのごうとした。バブル崩壊で金融機関のバランスシートは痛んだが、金融緩和だけでは不良債権は処理できない。不良債権問題にもう少し早く気付いていれば、もう少し早く公的資金を使った処理を進められたかもしれない。

不良債権問題を軽視していた政府

 バブルに対する認識の変化は、3段階に整理できるように思われる。第1段階は、89年頃までの(国民が)資産価格の上昇に強い反感を抱いていた時期である。…第2段階は、90~93年頃までの、バブルだったという認識が一般化し、バブルを全否定する段階である。…第3段階は、バブル崩壊の影響を懸念し始める段階である。92~93年頃になると、景気の減速が明らかとなり、今度は景気対策を求める声が強まってくる。〈第3章P54~「バブル認識変化の三段階」より〉

 経済企画庁の内国調査第一課長を務めた93年と94年、「経済白書」の責任者となった私は、バブル経済とは何だったのか、白書で検証した。このころになると、「バブルに経済的メリットはなく、あるのはデメリットだけ」というコンセンサスができていた。

 だが、政府はまだ不良債権問題の深刻さを知らなかった。経済企画庁も知らなかった。私も当初は大した問題ではないと考えていた。93年の経済白書では、「不良債権残高は銀行の与信残高に比べても大きな金額ではない」「金融機関の保有株には大きな含み益があり、いざとなればこれを不良債権処理に使える」「今後、経済が好転すれば、金融機関の収益も増える」として、「金融システム全体に悪影響が及ぶことはない」と説明している。

 不良債権問題はじわじわと進行し、だれの目にも見える危機ではない。債権には返済リスクがつきもので、貸出先の業績が回復する見通しが立てば不良債権ではなくなるし、担保の地価が上がればたちまち消える。その額は、自動車を何台作ったとか、食料品をいくら買ったといった経済統計とは違って判断の余地が大きく、非常に扱いにくい。

 当時は、金融緩和を続けて景気が持ち直せば、バブル崩壊で下落した地価や株価は再び上昇に転じ、金融機関の不良債権は消えてしまうと考えられていた。結果的に資産価格の先行きに対する政府、そして社会全体の見通しは甘すぎた。

 ただ、大蔵省銀行局(その後の「財金分離」で金融庁に再編)は、この問題の深刻さを把握していた可能性がある。しかし、銀行局は、この問題を積極的に開示しようとしなかった。

 93年末に内国調査課でバブル崩壊後の不良債権問題や銀行の経営基盤について報告書をまとめようとして、銀行局から強硬に公表の差し止めを求められたことがある。結局、この報告書は若干の修文を加えて公表されたが、「経済企画庁が金融業の経営状態について分析する法的根拠を示せ」という猛烈な抗議を受けたことで、私は不良債権問題の深刻さを知った。

メニューから外された公的資金

 95年には、住専(住宅専門金融機関)7社について既に損失がほぼ確定している6・4兆円について、農林系を含む金融機関が負担し、住専7社は消滅させる方向が模索され始めた。…結局6850億円の公的資金が投入されることになった。〈同P74「混迷する住専問題」より〉

 体力のない中小金融機関の経営危機が表面化するが、銀行局は合併や営業譲渡などでしのぎ続けた。そのうちに景気が良くなれば、という希望があったのだろう。

 だが、住専処理での公的資金の投入は国会で強い批判を浴び、これ以降、公的資金の議論はタブーとなり、政策メニューからも外された。経営責任が問われる金融機関側もこの議論を避けた。不良債権の処理はさらに遅れた。

最悪のタイミングで「6大改革」

 95年には、住専(住宅専門金融機関)7社について既に損失がほぼ確定している6・4兆円について、農林系を含む金融機関が負担し、住専7社は消滅させる方向が模索され始めた。…結局6850億円の公的資金が投入されることになった。〈同P74「混迷する住専問題」より〉
 橋本総理は六つの分野での構造改革を目指すとした。97年1月の施政方針演説で次のように述べている。「…現在の仕組みが、かえってわが国の活力ある発展を妨げていることは明らかであり、世界の潮流を先取りする経済社会を一日も早く創造しなければなりません。…行政、財政、社会保障、経済、金融システムに教育を加えた六つの改革を一体的に断行しなければならないのは、まさにこのためであります」〈第6章P94「六分野の構造改革」より〉

 こうしたなかで橋本龍太郎首相は1府12省庁への省庁再編や金融ビックバンを断行した。所得税の恒久減税の廃止と消費税率の5%への引き上げも行われた。

 橋本氏は行政の課題をよく理解しており、改革の方向性は間違いではなかった。ただ、タイミングがあまりにも悪かった。すでに金融システムの維持には公的資金が必要な状況だったのに、その認識がないまま、別の大きな手術に取りかかってしまった。しかも、一度に改革を進めたために政府内の人的資源がとられてしまった。私も「こんなことやっていていいのかな」と思いつつ、省庁再編ではずいぶん駆けずり回った。

 こうなると、とても公的資金について議論を始める状況ではなくなる。しかも、この時点でも政府はまだ不良債権問題の深刻な状況を十分に認識していなかった。

 97年9月まで橋本内閣の官房長官を務めた梶山静六氏は「内閣官房にあっても、まったくそのような事態(不良債権の実態)を耳にしていなかったことに、我ながら驚きました。…当時の大蔵省が『銀行は健全であり、心配ありません』という説明に終始したこともあり、誰も本当の中身を調べようとせず、目を覆ってなるべく金融界を見ないようにしてきたのです」と述べている。〈第4章P69「不良債権処理はなぜ先送りされたのか」より〉

危機にならないと動かぬ当局

 97年に起きたアジア通貨危機で日本の株価が下落し、輸出の減退で景気も悪化していったことから、金融機関の財務状況はさらに悪化した。準大手証券の三洋証券が会社更生法の適用を申請したことで、ついに金融危機が表面化した。

 三洋証券の倒産は二つの意味で金融界に大きなショックを与えた。一つは金融機関は無条件で救済されるわけではないことが確認されたこと。…もう一つは、戦後初めてインターバンク・コール市場でデフォルト(債務不履行)が起きたことである。…疑心暗鬼に陥ったコール市場は大混乱となった。これが次の北海道拓殖銀行の破綻を招くことになる。…拓銀が破綻した1週間後、四大証券会社の一つであった山一証券が廃業した。〈第4章P79「日本の金融危機」より〉

 アジア通貨危機のしばらく前から、金融市場はショックに対して非常にもろい状態になっていた。アジア通貨危機がなければ97年の危機はなかったかもしれないが、問題は残り続け、どこかで別の形で危機が起きていただろう。

 金融危機が起きて「もう仕方がない」という状況になって、ようやく公的資金の投入が決まった。ただ、当初は何のために公的資金を投入するのかが明確ではなく、投入の実績をつくることが優先された印象がある。金融機関の資本増強が主眼の与党の金融健全化法と、破綻処理が主眼の野党案を丸呑みした金融再生法が並立するという政治的な混乱のうちに、数十兆円の公的資金が使われてしまった。

 ことが起きないと動かないのは、日本だけではない。2008年のリーマン・ショックではアメリカでも当初、公的資金の投入に議会が大反対したが、リーマン・ブラザーズが破綻すると一転して公的資金の投入を認めている。欧米の金融当局は日本がバブル崩壊で大変な思いをしている時に、日本に「公的資金投入をためらうな」と再三指摘し、「自分たちは同じ失敗はしない」と言っていたのに、同じ失敗を繰り返している。

デフレ対策だった不良債権処理

 不良債権問題は、2001年に発足した小泉内閣の下で竹中平蔵金融相が進めた抜本処理で解決に向かう。このこと自体は評価されるべきだが、不良債権処理がデフレ対策の一環として位置づけられていたことは、その後の経済政策にも影響した。

 当時、デフレは「景気が悪くて物価が下がる状態」と定義され、何とか脱却するために財政出動や金融緩和をしたが、うまくいかなかった。小泉首相は「不良債権が処理できていないことが経済の重しになって、景気も良くならず、物価も上がらない」と考えた。

 02年10月の総合デフレ対策は、企業再生、不良債権処理、金融緩和の三つの合わせ技だった。…企業が再生し、不良債権処理も終了していくが、脱デフレは実現しなかった。金融緩和こそがデフレ脱却の本道という認識が強まり、やがてアベノミクスでの異次元緩和へと進んでいく。<第8章P137「デフレ対策の位置づけ」より>

 不良債権がほぼきれいになったのに、デフレは解消しない。やはり金融緩和だ、とゼロまで下げても、物価は上がらない。ついにマネーの量をどんどん増やせばデフレが収まるという意見が出てきた。量的緩和政策はうまくいくかどうか誰も分からない中で始まった実験的な政策だった。

 しかし、日銀がマネーの供給量を増やしても、多くは銀行の内部にとどまり、市中のマネーはあまり増えなかった。今ではデフレは「物価が下がる状況」と再定義され、景気の良し悪しとは別の問題だ、という「二元論」に整理されている。金融政策は短期的にはデフレ対策、景気対策になるが、いわゆるリフレ派の「マネーを増やしていけば物価が上がる」という主張はすでに破綻している。中、長期的な経済成長は、規制緩和や働き方改革による生産性の向上がなければ不可能だ、というのがオーソドックスな経済学者の意見だ。

平成の経済から今への教訓

 平成の経済の教訓は、社会全体の認識のタイムラグを小さくして、現実の問題点を国民に早く分かってもらうことがいかに重要か、ということだ。しかし、国民が正しく問題を認識するまでのタイムラグは永遠になくせないだろう。そうである以上、問題にいち早く気付いた専門家の意見を重視し、民意に忖度(そんたく)しすぎないことが大切になる。

 欧米では例えば、イギリスではエビデンス(証拠)に基づく政策決定が推進されており、アメリカでは2015年9月に「行動経済学の知見を政策に活かすべし」という大統領令が出されたりしている。日本ではこうした議論はほとんど皆無であり、欧米に周回遅れの状況だ」〈第13章P300「これからの経済政策」より〉

 選挙で選ばれていない専門家が税金やその使い道を決めるわけではない。最終的にそれを決めるのは国会だが、その前に、経済の専門家の議論を踏まえたオーソドックスな意見が反映されるような政策決定プロセスの改革を考えるべきではないか。

平成期のデフレ対策などの諸政策を鋭く分析した『平成の経済』は、第21回「読売・吉野作造賞」を受賞した
平成期のデフレ対策などの諸政策を鋭く分析した『平成の経済』は、第21回「読売・吉野作造賞」を受賞した

 専門家に決定権を委ねるのは民主主義に反すると言われるかも知れないが、国民に代わって国民の幸せが一番大きくなる道を考え、なぜ民意通りの政策ができないのか、国民にわかりやすく説明するのが本来の政治家の役割のはずだ。

 金融緩和には景気の刺激、物価の上昇のほかに、金融の安定という効果がある。コロナ禍のように企業倒産の続出が懸念される時には三つ目の効果は重要になる。今の時点では金融緩和は継続すべきだし、財政出動も必要だろう。

 だが、コロナ経済対策を機に、赤字国債をどんどん増発して日銀に引き受けさせても、国内で消化できているうちは大丈夫」という意見が台頭しているのは気がかりだ。そんなうまい話があるわけがないのに、与党も野党も「金を出せ」というだけで、財源はどうするのか、みな口をつぐんでいる。

 財源や国債への信認についての議論をタブーにして問題を先送りすれば、将来、再び危機が起きる可能性も否定できない。問題が起きてから初めて議論を始めるのでは遅いのだ。

小峰 隆夫氏 (こみね・たかお)1947年、埼玉県生まれ。69年東京大学経済学部卒、経済企画庁入庁。物価局長や調査局長を歴任。経済白書の執筆を担当した。著書に『平成の経済』(日本経済新聞出版社、2019年)、『本日経済論講義』(日経BP社、2017年)ほか多数。

※この論考は調査研究本部が発行する「読売クオータリー」掲載されたものです。読売クオータリーにはほかにも関連記事や注目の論考を多数収載しています。最新号の内容やこれまでに掲載された記事・論考の一覧は こちら にまとめています。
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1806181 0 読売・吉野作造賞 2021/01/29 10:00:00 2021/02/02 14:23:15 2021/02/02 14:23:15 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/10/20201030-OYT8I50025-T.jpg?type=thumbnail

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