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論壇の20年間を振り返る 読売・吉野作造賞の歩みから

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 読売新聞社と中央公論新社が主催する「読売・吉野作造賞」が今年で21回目を迎えた。我が国を代表する論壇賞の歴史を振り返ることは、2000年代の言論界の歩みをたどる経験にもなるだろう。平成から令和への時代の移り変わりも意識し、読売・吉野作造賞からみた論壇の20年を総括してみたい(文中敬称略)。

調査研究本部主任研究員 時田英之 

伝統を受け継いできた20余年

 論壇に関心のある方であれば、読売・吉野作造賞の何たるかは既にご承知だろう。優れた論考を顕彰する学術賞の一つで、身びいきだとのそしりを恐れることなく言ってしまえば、「我が国で最も権威ある論壇賞」というのが大方の評ということになるのではないか。

   吉野作造
   吉野作造

 この読売・吉野作造賞が創設されたのは2000年。その前年、読売新聞社が中央公論社を傘下に収めたのに伴い、両社がそれぞれ主催していた論壇賞、すなわち中公の「吉野作造賞」と読売の「読売論壇賞」とを一本化し、新たに誕生したのがこの賞だった。

 前身の一つとなった吉野作造賞は、大正デモクラシーの立役者として知られる政治学者の名を冠した賞として1966年にスタート。一時中断を挟んで99年まで計30回にわたって行われてきた。この間の受賞者には、第1回の坂本義和、衛藤瀋吉を始め、宇沢弘文、高坂(こうさか)正堯(まさたか)など、戦後の言論界をリードした知の巨人がきら星のごとく並ぶ。

 一方の読売論壇賞は、「自由で清新な言論と思想の発展に寄与する」狙いで91年に誕生。99年の第9回まで続き、こちらも言論界で確固たる地位を築いていた。

 このような栄えある伝統を引き継ぐかたちで生まれた読売・吉野作造賞(以下、吉野賞)は、以来約20年間にわたって新たな歴史を刻んできた。筆者は現在、読売新聞の調査研究本部で選考作業の実務を担当しているが、かつては編集局文化部の論壇担当記者として、毎年の選考委員会の議論も傍聴してきた。そうした経験からこの賞の20余年を振り返ってみると、受賞作のラインアップは、まさに時代の課題を映し出す「鏡」になってきたことに気づく。

 この間、論壇ではどのようなテーマが重要とされ、どんな議論が重ねられてきたのか。一つ一つの作品からは、そんな時代の証言が浮かび上がってくるように思われるのだ。

時代の課題を映す「鏡」

 もちろん、「時代の課題を映し出す」というのは、論壇の本来的な働きの一つではある。一般に論壇とは「議論を戦わせる場」といった意味で語られるが、より踏み込んでいえば、「書籍や雑誌など各種のメディアを舞台に、社会的な問題についての主張が展開される言論空間」ということになるだろう。

 いかなる社会にも、その時々で抱えている困難な問題はある。そんな問題を乗り越えようという言論の場が論壇であるならば、論壇賞がその時点での課題を反映したものになるのは当然といえば当然だ。

     吉川洋
     吉川洋
     竹森俊平
     竹森俊平
     小池和男
     小池和男
     小峰隆夫
     小峰隆夫

 ただ、様々な論壇賞がある中で、「時代の鏡」と呼ぶにふさわしいのはやはり吉野賞ではないか、という自負がある。実際のところ論壇賞には、経済など特定のジャンルに対象を絞ったり、若手研究者の顕彰に重点を当てたりするなど、様々な縛りがあるものも多い。

 そんな中で、吉野賞は「政治、経済、社会、歴史、文化の各分野における優れた雑誌論文、評論、著作を顕彰する」とのみ要綱にうたう。ジャンルや年齢は不問。ただ内容のみによって年間のベストワンを選び出す。そんな賞であるが故に、年ごとの受賞作は時代の潮流というものをダイレクトに反映し得たのではないかと思う。そのような視点からすれば、第1回(2000年)で吉川洋『転換期の日本経済』が受賞作の一つとなったことは実に象徴的だった。当時から今に至るまで日本経済の低迷は長く続き、この時期はやがて「失われた30年」とまで呼ばれるようになる。経済の再生は、この間一貫して論壇の大きなテーマであった。そんな時代にあって、マクロ経済の視点から日本経済の最大の問題は「需要不足」であると喝破したのが同書であったわけだ。

 第4回(03年)の竹森俊平『経済論戦は甦る』と第10回(09年)の小池和男『日本産業社会の「神話」』、さらには本年の第21回(20年)受賞作である小峰隆夫『平成の経済』と、その後も経済関連の作品の受賞は続いている。

 振り返ってみると、そのいずれもがそれぞれの立場から日本経済復活へのカギを模索する試みであったということができる。吉野賞の20余年を貫く「通奏低音」としてあったのは、陰りをみせてきた日本経済への危機感というものだったのかもしれない。

国際社会に向けたまなざし

     田中明彦
     田中明彦
     細谷雄一
     細谷雄一
     遠藤乾
     遠藤乾
     古田博司
     古田博司
     木村幹
     木村幹
     長谷川毅
     長谷川毅
     福永文夫
     福永文夫
     篠田英朗
     篠田英朗

 受賞作の射程は、必ずしも日本国内に限られていたわけではない。世界的な事象を考える中でそれが日本の立ち位置を逆照射する――といった趣の作品も数多くあった。

 第2回(01年)の田中明彦『ワード・ポリティクス』は、国際政治における「言葉」

の力に注目した意欲作だった。もとより国際政治では、「軍事力」と「経済力」に並んで、「ソフトパワー」など「価値の力」が認められてきたところだが、同書は独自の切り口で価値を支える「言葉」の可能性にスポットを当てた。

 世界各地で現実に起きている政治的抑圧を国際社会は座視すべきなのか。そうした問題に切り込んだのが第11回(10年)の細谷雄一『倫理的な戦争』だ。同書は英国のトニー・ブレア元首相のイラク戦争への対応などを検証しつつ、「人道的介入」の問題を論じた。

 第15回(14年)の遠藤乾『統合の終焉(しゅうえん) EUの実像と論理』も、EU(欧州連合)統合の試みという世界史的な「実験」を真正面から論じ、いわば裏面から「主権国家」の意味と役割を問い直すような試みだった。

 国際社会の中で日本が直面している問題と向き合おうという姿勢は、他の受賞作にも見受けられた。

 第5回(04年)の古田博司『東アジア・イデオロギーを超えて』、第16回(15年)の木村幹『日韓歴史認識問題とは何か』は、いずれも近年の日韓対立などを踏まえて問題の淵源(えんげん)を探ろうとした労作だった。

 第7回(06年)の長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』、第16回(15年)の福永文夫『日本占領史 1945-1952』は、先の大戦と戦後を扱ったものではあるが、それとても現在の世界の成り立ちを考えさせるという意味では極めて今日的な意義を秘めたものだった。

 今考えれば、この約20年間の世界もまた安定とはほど遠いものだった。世界を震撼(しんかん)させた米国同時テロ事件が起こったのは、吉野賞創設とほぼ同時期の2001年。かつて米国の思想家、フランシス・フクヤマが説いたような「民主主義と自由経済の勝利によって安定した世界」はついぞ到来しなかった。調和に満ちた新たな世界を作り出すにはどうすればいいのか。そんな洞察に満ちた作品が数多く生み出されたことも、この20年間の成果だったと言えよう。

 そのほか、政治問題化したイシューに切り込んだ論考として、第18回(17年)の篠田英朗『集団的自衛権の思想史』も印象に残った。同書は、日本国憲法における国際協調主義を踏まえれば、憲法学における集団的自衛権違憲論には疑問があると主張。憲法学の「タブー」に果敢に切り込む意欲作だった。

論壇人を「発掘」

 この20年間の論壇に大きなインパクトを残してきた吉野賞であるが、その果たしてきた役割はまだまだある。その一つは、論壇人の「発掘」を通じて言論界の活性化を促してきたことである。

 もちろん、吉野賞に輝く前からメディアでの言論活動に取り組んでいた受賞者もいたが、受賞を機に総合雑誌や新聞などの常連執筆者となり、今に至るまでさらなる活躍を続けている人が多い。いささか手前みそのようではあるが、内外の知識人による読売新聞の大型コラム「地球を読む」(原則、毎週日曜付朝刊の1面に掲載)の書き手の多くは吉野賞の受賞者で、現時点での執筆者は5氏にのぼる(吉川洋、白石隆、田中明彦、猪木武徳、細谷雄一の各氏)。ちなみに篠田英朗氏は現在、本紙の読書委員を務め、日曜付朝刊の読書面「本よみうり堂」で書評を担当している。

     白石隆
     白石隆

 周知のように近年のアカデミズムでは専門領域が細分化される傾向にあり、研究者が広く社会全体を見通した言論活動や評論活動を行うような余地は狭まっているという。しかし、専門分野で優れた見識をもつ知識人が社会的な問題について知見を披露し、ある種の啓蒙(けいもう)を行っていくことは言論界の活性化にとって必要なことであろう。吉野賞は、期せずして能力と意欲とをもつ論壇人を「リクルート」する機能を果たしてきたようにも思う。

いよいよ増す責任

 さて、この20年の間の論壇関係の動きとして一つ指摘しておきたいのは、論壇、総合雑誌の休刊が一気に進んだことだ。

 とりわけ08、09年には「論座」(朝日新聞出版)、「月刊現代」(講談社)、「諸君!」(文芸春秋)が姿を消した。今も残る論壇・総合誌についても、総じて販売は苦戦しているという。これらを代替するかたちの電子メディアも登場しているが、「有力雑誌を介してその時々の問題が幅広い層に周知されていく」といった旧来の論壇のスタイルは解体しつつあり、多くの人々が参集する議論のプラットフォームはなかなか見えてこない。

 様々な人々の関心が拡散し、凝集力を失いつつある論壇。だが、だからこそ「ブランド」としての吉野賞には人々の関心を喚起し、議論のきっかけを作ることが期待されているようにも思う。

 自戒を込めて言うならば、その「のれん」を守っていく責任は重い。実際、過去の吉野賞をめぐってトラブルがなかったわけではない。第19回(18年)でいったん受賞が決まった研究者に関しては、別の著作に関して捏造疑惑が浮上した。吉野賞の対象作品自体に不正は認められなかったものの、所属大学の調査委員会が過去の著作の不正を認定したことを受け、読売新聞社は「研究姿勢に問題がある」などとして授賞を取り消した。

読売・吉野作造賞で同時に2人が賞の栄誉を受けた「ダブル受賞」は、これまで計3回。第16回(2015年)では、ガッツポーズで喜びを爆発させる木村幹(左)と福永文夫がそろって贈賞式に姿を見せた(2015年7月撮影)
読売・吉野作造賞で同時に2人が賞の栄誉を受けた「ダブル受賞」は、これまで計3回。第16回(2015年)では、ガッツポーズで喜びを爆発させる木村幹(左)と福永文夫がそろって贈賞式に姿を見せた(2015年7月撮影)

 吉野賞の社会的使命に疑義をもたれるようなことがないよう、細心の注意を払う。それは今後の担当者にぜひ伝えていきたいことでもある。

 吉野賞は本年の贈賞式が7月に終わると、来年の選考に向けた作業もまた始まる。刻々と移り変わる世界の中で、未来を見通すような新しい作品を見つけ出し、顕彰する。そんな営みの積み重ねが、これからの日本に何かしらの希望を伝えることになっていけば―それが吉野賞に携わるものとしての願いである。

猪木武徳・選考委員会座長に聞く

 猪木武徳・選考委員会座長
 猪木武徳・選考委員会座長

 読売・吉野作造賞の選考委員会は現在7人で構成されているが、社外委員5氏は、前身の吉野作造賞を含めると全員が過去の受賞者だ。その座長を2011年から務めているのが、『自由と秩序』で第3回受賞者となった猪木武徳・大阪大学名誉教授(経済学)。選考委員の目から見た吉野賞の意義について語ってもらった。

――吉野賞受賞作のラインアップから見えてくる「時代のトレンド」はあるか。

 総じていえば、実証性・専門性の高い作品、学術性の高い作品が多くなってきた印象がある。全体的な傾向としては悪くないことだ。ただ、反面で「実証できない部分を推論する」といった面白さが欠けてきた感がある。あるいは「こうである」という部分とはっきり区別して「こうすべきだ」とする記述があってもいい。今年の受賞作である小峰隆夫氏の『平成の経済』は、その意味でとても良い作品だと思った。

――論壇賞の意義とはどのようなものか。

 今はネットを通じて誰もが情報を発信できる時代だ。「表現の自由」といった観点からすれば大変良いことであるが、「何が良いものか」を選別するのは困難になり、例えばそこからフェイク・ニュースがはびこるような事態も起きてくる。そんな中で、論壇賞というのは優れた論考を「目利きが選ぶ」システムで、鑑識眼がある人が、責任をもって「これを推す」と言う仕組みは大事だ。その意味で論壇賞は重要だ。というか、ますます重要になるべきだと思う。

――論壇賞の中にあって吉野賞の特徴は。

 過去の受賞作を見ると、前向きで明るい議論のものが多いと思う。論壇には、とかく批判や非難が表に出た「()ね者」の議論というものがある。もちろん批判精神は大事だが、それだけでは駄目で、「我々は何を目指すのか」といった部分が大事だ。その点で吉野賞の受賞作はしっかりしていると思う。

 受賞者の年齢も最年少は38歳で、最高齢は76歳。対象とするジャンルも社会科学系中心に幅広い。そうした幅の広さも、他の賞にはあまりないのではないだろうか。

――選考に際して心がけていることはあるか。

 「どういう作品を選んだか」という一点において、評価されているのはむしろ選考する側なのだと考えている。賞を受けるか受けないかで、ある人のそれからの人生が変わってしまうこともあるだろう。選考する者の責任の大きさというものは常に感じている。

※この論考は調査研究本部が発行する「読売クオータリー」掲載されたものです。読売クオータリーにはほかにも関連記事や注目の論考を多数収載しています。最新号の内容やこれまでに掲載された記事・論考の一覧は こちら にまとめています。
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1914593 0 読売・吉野作造賞 2020/10/01 11:00:00 2021/03/29 12:27:32 2021/03/29 12:27:32 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/03/20210316-OYT8I50072-T.jpg?type=thumbnail

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