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撃った、吸った、壊した、石原軍団と刑事ドラマ

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編集委員 片山一弘

銃で向かってくる凶悪犯を、“水撃”する「西部警察」の新兵器。東京・神宮外苑でファンに披露された=1981年(昭和56年)10月23日夕刊
銃で向かってくる凶悪犯を、“水撃”する「西部警察」の新兵器。東京・神宮外苑でファンに披露された=1981年(昭和56年)10月23日夕刊
石原プロモーションの業務終了を報じる記事=2020年(令和2年)7月18日朝刊
石原プロモーションの業務終了を報じる記事=2020年(令和2年)7月18日朝刊

 <俳優の石原裕次郎さん(1987年死去)が設立した「石原プロモーション」(東京)が来年1月、芸能事務所としての業務を終了することが17日、分かった>

 7月18日、<「石原軍団」解散へ>と題した報道を、一抹の寂しさとともに受け止めた中高年男性は多かったのではなかろうか。

 一方で、筆者が選者を務める「よみうり時事川柳」には、若い女性から「石原軍団って何?」という趣旨の投句も寄せられた。「大都会」「西部警察」などの刑事ドラマで石原軍団が暴れ回っていたのは、もう40年ほど前のことなのだから、それも当然ではある。

“長寿”の警察ドラマ、続々誕生

 警察ドラマは、今も昔もテレビの人気ジャンルだ。日本でテレビの本放送が始まったのは1953年(昭和28年)。数年後には早くも「ダイヤル110番」(日本テレビ、57~64年)や「部長刑事」(朝日放送、58~90年)が始まった。61年(昭和36年)には「七人の刑事」(TBS)、「特別機動捜査隊」(NET=現・テレビ朝日)が人気を集め、長寿ドラマとなっていく。

 64年(昭和39年)生まれの筆者が小学校に入ってから大学を出るまでの70~80年代には、「太陽にほえろ!」(日本テレビ、72~86年)をはじめ、「Gメン75」(TBS、75~82年)、「大都会」(日本テレビ、76~79年)、「特捜最前線」(朝日、77~87年)、「西部警察」(テレビ朝日、79~84年)などの人気番組が目白押し。刑事ドラマの全盛期といってよいだろう。

70年代は大爆破アクション

 筆者は、文化部で放送担当だった2010年に、警察ドラマの動向に関する記事を書いたことがある。取材した碓井広義・上智大教授(当時。現在はメディア文化評論家)は、70~80年代と比べた現代の警察ドラマの特徴を「撃たない」「吸わない」「壊さない」の3語で表現してくれた。「銃を撃たない」「たばこを吸わない」「物を壊さない」という意味だ。

 裏を返せば、70年代の刑事ドラマの特徴は、「撃つ」「吸う」「壊す」。その壊しっぷりの一端が、82年(昭和57年)7月31日夕刊芸能面の「久々、大爆破アクション」という記事に紹介されている。静岡県の浜名湖で行われた「西部警察PART2」のロケについての記事で、物語の展開はこうだ。

 <十トンの金塊を強奪した強盗団が浜名湖で係留中の遊覧船を奪って逃げるのを、湖上はモーターボート、空からはヘリで追う。渡哲也の大門部長刑事がヘリから船上の犯人を銃撃すると、犯人が自分のバズーカ砲の狙いをはずし、船ごと自爆する。>

「西部警察PART2」のロケでは、遊覧船が爆破された=1982年(昭和57年)7月31日夕刊
「西部警察PART2」のロケでは、遊覧船が爆破された=1982年(昭和57年)7月31日夕刊

 爆破した遊覧船は、廃船処分が決まった90人乗りの船舶を無償提供してもらったそうで、<船底を破らず水上に出ている部分だけが砕け飛ぶように火薬を置く個所や量を考えた結果、火薬を十六か所に仕掛け、これに応じてガソリンもドラムカン五本を備えつけた。(中略)さあ本番、追撃陣のヘリが飛び、モーターボートがすれ違う瞬間に、離れた船上から起爆のスイッチをオン。「ドドーン ドドーン」爆破は成功、真っ赤な炎も黒煙も上々の首尾だった。この浜名湖ロケ部分しめて一千百万円とか。>

パトカー用の車、1回で5~6台つぶしていた

 さすがに船を炎上させた場面は珍しいけれど、乗用車が転がったり炎上したりするのは毎週のことだった。第1シーズンが放送中だった79年(昭和54年)10月20日朝刊の記事<都心でカーチェイス>では、制作した石原プロモーションの社長で、主要キャストでもあった石原裕次郎さんが、こう語っている。

 <画面をほとんどロケで作っているのは、背景を本物にしたいからです。ロケをすると、セットで建物を作る費用は確かに浮きますが、それを火薬に回すんです。火薬は毎回二百五十万円分使いますし、パトカー用の車も一回で五、六台つぶしますから。>

 銀座、新宿、渋谷など、東京の都心部で派手なカーチェイスや銃撃戦をするのが売り物だった。反対車線を暴走する映像など、今見ると、どうやって撮ったのだろうかと驚く。番組のタイトルバックの中でも刑事たちはライフル銃や拳銃をぶっぱなし、乗用車が転倒・炎上していた。

東日本大震災で被災した宮城県石巻市を「石原軍団」が訪れた。笑顔で炊き出しを行う渡哲也さん=2011年(平成23年)4月14日
東日本大震災で被災した宮城県石巻市を「石原軍団」が訪れた。笑顔で炊き出しを行う渡哲也さん=2011年(平成23年)4月14日

当初は人間ドラマだった「大都会」

 石原プロモーションは、映画スターとして不動の地位を確立していた石原さんが映画製作のために63年(昭和38年)に設立した会社で、当初は「黒部の太陽」(68年)、「栄光への5000キロ」(69年)など、石原さん出演の映画を製作していた。本格的に連続テレビドラマの制作に乗り出したのは、76年(昭和51年)の「大都会~闘いの日々」(日本テレビ)から。石原さんは、同じ日本テレビの刑事ドラマ「太陽にほえろ!」に主演し、警視庁七曲署捜査一係の係長、通称「ボス」として活躍していたから、なじみのある分野だったはずだ。

 「大都会」では、暴力団担当の刑事・黒岩を渡哲也さん、サツ回りの新聞記者を石原さんが演じるダブル主演。後に「北の国から」を書いた脚本家・倉本聰さんの企画原案で、暴力団と刑事の世界を描きながらも、人間ドラマに重点が置かれていた。

 作風ががらりと変わったのは、翌77年に放送された「大都会PART2」だ。キャストに松田優作さんも加わって派手な銃撃戦やカーチェイスに方向転換し、視聴率も大いに上昇した。

「西部警察」のロケは、銀座4丁目でも=1979年(昭和54年)10月20日朝刊
「西部警察」のロケは、銀座4丁目でも=1979年(昭和54年)10月20日朝刊

「軍団」と呼ばれた石原プロ

 78年に始まった「大都会PART3」第1話のサブタイトルは「帰って来た黒岩軍団」。黒岩率いる刑事の面々のことだ。

 石原さん、渡さんをはじめ、出演者は石原プロモーションに所属する俳優が多く、石原さんを中心に固く結束した男くさい集団のイメージが強かったこともあって、やがて石原プロ自体が「軍団」と呼ばれるようになった。

 近年では、地震などの被災現場に渡さんら俳優陣が出向いて自ら被災者に炊き出しの食事を振る舞う姿も印象深い。ドラマを離れても石原プロは「軍団」だった。

 石原さん亡き後、石原プロの社長を務めた渡さんには、一度取材でお会いしたことがある。20年ほど前になる。20歳以上年下の筆者に対して終始礼儀正しく、じっとこちらを見つめて丁寧に質問に答えてくれた穏やかな瞳に、大きな包容力を感じた。

 「西部警察」は、「大都会PART3」が終了した直後の79年10月に始まった。石原プロ制作で石原・渡のダブル主演、渡さん演じる大門刑事が率いる「大門軍団」の活躍を描く刑事ドラマ。「大都会」から続いて出演した俳優も多い。いわばテレビ局を移籍しての実質的な続編で、銃撃戦やカーチェイスがさらにパワーアップした。撃ちまくり、壊しまくるアクション刑事ドラマのひとつの頂点だった。

 「西部警察」はPART3まで作られ、最後は大門軍団が国際テロリストと離島の基地で対決。敵を倒した末に大門刑事が壮絶な最期を遂げて、番組は84年に終了した。

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1393300 0 ちょっと前はどうだっけ? 2020/08/07 10:00:00 2020/08/15 11:48:08 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/08/20200805-OYT8I50084-T.jpg?type=thumbnail

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