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日本人も昔からマスク好きだったわけではない

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編集委員 片山一弘

 欧州諸国では再び新型コロナウイルスの感染拡大が激化している。減ったかと思えばまた増える厄介な代物である。

欧米人、なぜマスクを嫌う?

昭和30年(1955年)5月、東京・新宿区内の小学校の給食風景。配食係は白い布マスクをつけている
昭和30年(1955年)5月、東京・新宿区内の小学校の給食風景。配食係は白い布マスクをつけている

 春先から欧米の新型コロナ報道に接していて奇異に感じるのは、かの国々でのマスクの嫌われようだ。各国のニュース映像を見ていると、春の感染爆発期も、比較的落ち着いていた夏の時期にも、街を歩く人々がマスクをしている比率は、明らかに日本より低かった。ほぼ誰もが着用している光景が普通になったのは、各国政府が着用を推奨したり義務化したりと、流行開始からかなり時間がたってからのことだ。マスクの着用に反対するデモも、アメリカ、ドイツなど各地で起きている。3月頃から国民の大半がマスクをし続けている日本とは、ずいぶん違う。

 欧米人のマスクに対する感覚は我々とは違うのだろうなと感じたことは、コロナ以前にも何度かあった。

 例えば2011年3月11日に発生した東日本大震災の後。3月末か4月初め頃、海外メディアが、東京の通勤風景の映像を「放射線をおそれてマスクをする日本人」と紹介したのを見て、「いや、それ花粉症対策で、毎年してますから」と突っ込みたくなったのを覚えている。当時の人々の心情はともかく、この季節に通勤客がマスクをしている光景自体は、すでに例年のものだった。

筆者はマスクを着用していて叱られた!

 2006年にジョージアを訪れた際には、マスク着用を叱られたことがある。

 当時、首都トビリシでは建物や道路の工事があちこちで行われてホコリっぽかったので、外出時にマスクをしていたのだが、通りかかった若い男性が突然どなりつけてきた。ジョージア語は難解で何を言っているのかわからなかったが、しきりに筆者のマスクを指さすので、とりあえず外すと、何か捨てゼリフを残して去っていった。取り残された筆者の方は、何を怒られたのかもわからず、漫画の1コマなら「ポカーン」と擬音を書き添えたくなるような心境だった。

 調べてみると欧米では、正当な理由なしに公の場で顔の一部を隠すことを禁じる法律のある国が少なくない。ウィキペディア(英語版)のAnti-mask-law(覆面禁止法)の項目を見ると、アメリカの複数の州やカナダ、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、スペイン、ロシア、英国等々、主要国のほとんどにこの種の法律があるらしい。その多くは今世紀に入ってから設けられており、おそらくはテロや犯罪の抑止が目的と思われる。

 病気でもないのにマスクをしているのは「変なこと」どころか「悪いこと」だったわけだ。禁止していた当の政府が突然「着用しろ」と言い出すことに、反発を覚える人もいるのだろう。

 日本人は、内心では「邪魔くさい」「うっとうしい」と思っても、春先に皆がマスクを着用することに慣れてしまい、特に異様な光景とは感じない。が、そうなったのは、さほど古いことではない。

日本で100年前、普及するきっかけ

100年前、マスクを着けた女子学生は「美人の怪物」扱いされた=1920年(大正9年)1月10日朝刊
100年前、マスクを着けた女子学生は「美人の怪物」扱いされた=1920年(大正9年)1月10日朝刊

 日本でマスクが一般に広く普及したのは100年前のスペイン・インフルエンザの流行がきっかけと言われる。その頃、1920年(大正9年)1月10日の婦人欄には<マスクを着ける女学生 美人の怪物が近く市中に出現>との記事がみられる。

 学校における流行性感冒対策についての記事で、<下谷七軒町の第一高等女学校では、八日開校と同時に市川源三氏から病身者は成るべく登校を遠慮する事、人込みの中へは行かない事、風邪の気分あれば充分に手当をし、疑はしい病は登校を遠慮する様、電車中や屋外で(せき)をする場合は半巾(はんけち)で口を(おほ)ふ事等の注意があつて>と、対策は今とほぼ変わらない。

 続いて<同時に校長以下男女教員率先して同校女学生一同(ことごと)くマスクを着用する事に決めました>とあり、東洋家政女学校でも着用を推奨したことから、<美人の怪物が近く東京市内に多数出現する事でせう>と締めくくっている。真面目な記事の最後にいきなり<怪物>も妙なものだが、当時はそれほどマスク姿が奇異に感じられたのだろう。

 同年1月18日婦人欄には<自宅で出来る口覆器(マスク)>との見出しで、戸板裁縫女学校で生徒に教えているマスクの作り方が紹介されている。

 <針金に紙を巻いて卵形につがねます(紙を巻くと滑らなくて形が付け易いからです)卵形を縦と横に又仕切る十文字の針金を渡し、別にも一つ卵形の針金を(こしら)へて置き、三寸七分四方位の有り合せの黒布でもよし、色布でもを用ひて表とし裏にはガーゼを三四枚重ねざつと(あたり)を縫ひ、ゴムテップで耳掛けを造り、十文字に渡した卵形に布をかぶせ、一方の曲げた針金で抑へて置けば、体裁のよいマスクが出来ます。ガーゼは時々硼酸(ほうさん)水で消毒して用ひます。>

 裁縫というより工作である。記事は市販のマスクにも言及しており、素材は<裁ち落としの黒繻子(じゅす)や、輸出羽二重の(くず)切れで>というから、当時のマスクは色つきも多かったようだ。

 同年10月2日の<読者の声>には<理髪業者にマスクをかけさせよ>と、理髪業者が顔そりをする際にマスク着用を義務づけるべき、との意見が掲載されている。<昨日某床屋にある頬のこけた顔色の悪い男が咳をしながら仕事をしているのを見て痛切に感じた>という。最近でいう「マスク警察」的な内容だが、ひげそりの際にはかなり互いの顔が近づくので、気持ちはわからないでもない。

 以後、風邪対策としてのマスク着用は、特に学校では定着していったようだ。

公害問題ともセットに

石油化学コンビナート近くの小学校では、児童のマスク着用が欠かせなかった=1968年(昭和43年)3月17日朝刊
石油化学コンビナート近くの小学校では、児童のマスク着用が欠かせなかった=1968年(昭和43年)3月17日朝刊

 戦後、急激な工業の発達とともに公害が問題になった時期には、こんな記事も見られる。68年(昭和43年)3月17日の日曜版「日本の子ども」という連載で、三重県四日市市をとりあげた記事だ。工場の巨大な煙突を背景に、大きなマスクをした小学生が写っている。石油化学コンビナートに隣接する小学校の児童たちだという。

 <“公害マスク”と呼ばれている黄色いマスクは活性炭のはいった特別製、一種の防毒マスクだ。一個百八十円で昨年度までは市費で無料配布されていた>

 70年(昭和45年)8月24日朝刊の<ホームドクター>という欄には、外山敏夫慶大医学部教授の寄稿で<光化学スモッグにマスクは無効>との文章が載っている。

 <スモッグ、とくに亜硫酸ガスや光化学スモッグにガーゼマスクは有効なのかというと、答えはノー。無効なのです><ガスとなると、ガーゼの目を自由に通過するし、ビールスやスモッグなどのごく小さな粒子も、ほとんどひっかからずに通ってしまいます>

 人々が苦しめられた大気汚染に対して、マスクによる自助の効果はささやかでしかなく、必要なのは行政による抜本的な対策だった。

「口裂け女」にも欠かせない存在

「口裂け女」のうわさは全国に広がった=1979年(昭和54年)6月13日朝刊
「口裂け女」のうわさは全国に広がった=1979年(昭和54年)6月13日朝刊

 時代は下がって昭和の終わり近く、「口裂け女」という都市伝説が流布したことがある。79年(昭和54年)6月13日朝刊都民版に掲載された記事<子供襲った“口裂け女”>で、子供たちが「口裂け女」のうわさについて説明している。

 <「千川上水の横の道(遊歩道)に女の人が立っててね、私きれい、って聞くんだよ。ウンて答えると茶色いマスクをとって、これでもきれい、って言うの。すると口が耳まで裂けているんだ」>

 <「きれい、と聞かれて、きれいと言ってもきたないよ、と言っても殺されちゃうの。石神井公園にも茶色いマスクをつけた女の人がいたけど、マスクをとらないうちに逃げてきちゃったから、口はわからなかったけど絶対に口裂け女よ」>

 全国に広まって、さまざまなバリエーションができたけれど、おおむね、これが基本形だ。この年、筆者は中学3年生だったので、真に受けて怖がることはなかったが、ずいぶんと話題になったのは覚えている。

 当時、子供が生活の中で見かけるマスクといえば病人か医療関係者、学校の給食当番くらいで、街中でマスクをした人を見かけることは、まれだった。珍しい存在だからこそ、マスクの下の顔に想像力が働く余地があったのだろう。

不良を象徴する小道具に

暴走族を取り上げた連載の一場面。マスク姿の男性が見える=1982年(昭和57年)7月20日朝刊 ※一部修正しています
暴走族を取り上げた連載の一場面。マスク姿の男性が見える=1982年(昭和57年)7月20日朝刊 ※一部修正しています

 80~90年代には、マスクは不良を象徴する小道具にもなっていた。吉田聡「湘南爆走族」、西森博之「今日から俺は!」など、暴走族や不良を扱った人気漫画にマスク姿のキャラクターが登場する。

 かつての<美人の怪物>という形容をみても、顔の一部を隠すという行為には、周囲の人間に不穏な印象を与え、不安をかきたてる何かがあるようだ。

 日本で「皆がマスクをしている光景」が珍しくなくなったのは、花粉症の流行以後だ。

 筆者が花粉症になったのは91年(平成3年)の春だった。目がかゆく、鼻水とくしゃみが止まらず、最初の10年くらいはマスクを外せなかった(最近は薬が良くなったのか体質が変わったのか、年によっては春先もマスクなしで出歩くことが可能だ)。花粉よけというだけでなく、いつ垂れてくるかわからない鼻水を隠すためでもあった。

静電気でウイルスを“捕獲”するなど高性能化が進んだ=2003年(平成15年)4月29日朝刊
静電気でウイルスを“捕獲”するなど高性能化が進んだ=2003年(平成15年)4月29日朝刊

 読売新聞の記事データベースで「花粉症」を検索してヒットする最も古い記事は、81年(昭和56年)2月12日の「ミニ解説」。症状や原因が丁寧に記され、まだ一般にあまり知られていなかったことがうかがえる。花粉症に関する記事が増えるのは85年頃からで、治療法の解説などが登場。90年前後からは、花粉症対策の機能を備えたマスクが次々と発売されるようになる。それまではガーゼ中心だったマスク界に、現在の主流となった不織布製品が登場したのは、21世紀に入ってからだ。

 この30年余の間に、花粉症にかかる人が増えるとともに、SARS(重症急性呼吸器症候群)や新型インフルエンザなど感染症の世界的流行が起こるたびにマスク着用が推奨されて、冬から春にかけてマスクを常用する人が多くなった、というのがコロナ直前の日本の状況だったわけだ。

昔は“アベノマスク”サイズだったけれど

政府が配った布マスクは、評判が芳しくなかった。ドラッグストアで市販のマスクに交換してもらう女性=2020年(令和2年)6月、東京都内で
政府が配った布マスクは、評判が芳しくなかった。ドラッグストアで市販のマスクに交換してもらう女性=2020年(令和2年)6月、東京都内で

 今年、安倍政権が全世帯に2枚ずつ配布した布マスクは「小さすぎる」と不評だったが、花粉症対策の不織布製品が登場する以前のマスクは、あの程度が普通だったと思う。「口裂け女」のマスクは、伝承通りなら耳まで裂けた口が隠れるサイズだったはずで、当時、そんな巨大なマスクをした人がいたら、それだけで異様な印象を与えたことだったろう。

 コロナ以後、市販のマスクが一時払底(ふってい)したこともあり、手作りの布マスクを着用した人が増えた。顔の下半分がそっくり隠れるような「作品」を着用した女性を見かけた時に、「あ、口裂け女のマスクってこのくらいの大きさだったのかな」と思ったが、もちろん口には出さなかった。

 もうすぐ11月。コロナが終息しないうちに、かぜとインフルエンザの季節が巡ってきてしまった。当分はマスクをしたままの生活が続く。

 そんな中で、夏場には“涼しいマスク”、合唱関係者の間では“歌えるマスク”など、状況や用途に応じたマスクが開発されている。コロナ禍は、人とマスクとの付き合い方を、さらに変えそうでもある。

プロフィル
片山 一弘( かたやま・かずひろ
 編集委員。1987年入社。甲府支局、浦和(現さいたま)支局、図書編集部、週刊読売編集部、文化部(日曜版、放送担当、芸能担当デスク)などを経て、2015年から「よみうり時事川柳」選者を務める。

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1588293 0 ちょっと前はどうだっけ? 2020/10/30 10:00:00 2020/10/30 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/10/20201028-OYT8I50087-T.jpg?type=thumbnail

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