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俳優の福本清三さんが亡くなった。
「福本清三」の名は知らなくても、「日本一の斬られ役」と聞けば、ああ、あの、と思い浮かぶ人もいるだろう。15歳で東映京都撮影所の大部屋俳優となってから60年あまり、数えきれないほどの映画やテレビドラマに出演してきた。
ろくにセリフもなく、主人公に襲いかかっては殺される役ばかり演じていたが、悪鬼のような凶悪メイク、身軽で鮮やかな殺陣、頭が地面につきそうなほど反り返って倒れる激しい死にざまの数々は、観客や視聴者の記憶に知らず知らず焼き付いていく。

そんな「名もない斬られ役」だった福本さんの名は、今世紀に入って徐々に知られるようになった。2001年にNHKのドキュメンタリー番組で紹介され、著書「どこかで誰かが見ていてくれる」(聞き書き・小田豊二/創美社)が刊行。そして、トム・クルーズ主演のハリウッド製時代劇「ラスト サムライ」(03年公開)に起用された。渡辺謙さん、真田広之さんが海外進出するきっかけとなった映画で、トム・クルーズを見張る「寡黙な侍」を演じた福本さんにも注目が集まった。
その頃、福本さんにインタビューしたことがある。素顔の福本さんは画面での印象とは正反対、謙虚で照れ屋の穏やかな人で、筆者はすっかりファンになり、以後、時代劇の画面で福本さんを見つけるのを楽しみにしていた。昨年11月末にBSプレミアムで放送されたテレビ時代劇「十三人の刺客」にも顔を見せていただけに、突然の
今回は福本さんをしのんで、彼が歩んできた時代を読売新聞の記事で振り返ってみたい。
撮影所入りは「たまたま」だった

福本さんが東映に入社したのは1958年(昭和33年)。兵庫県城崎郡で生まれ育ち、中学を卒業して京都の米店で働いていたが、親戚に転職を相談したところ、撮影所を紹介されたという。つまり、俳優になりたかったわけではなく、たまたま決まった就職口だった。
その4年前の54年(昭和29年)11月3日夕刊の<殺陣師と「カラミ」の不足>という記事から、時代背景がうかがえる。
<戦前を上回る時代劇のチャンバラ場面にはその型をつける殺陣師と主役の活躍を一層よくみせる相手側の一群、つまりカラミと呼ばれる人たちがきってもきれぬ存在である。しかし戦後ある期間時代劇が追放されたため養成がたたれ、現在その不足を嘆く声が高い>
戦後、GHQ(連合国軍総司令部)統治下の日本で、歌舞伎や時代劇は封建的忠誠心を称揚し軍国主義を助長するものとして、製作を制限された。その反動もあってか、52年(昭和27年)の独立回復後、映画界に時代劇ブームが起きた。
54年10月6日夕刊の<時代劇
主演スターに劣らず大変な「カラミ」

福本さんが東映入りした58年、夕刊の「よみうり演芸館」というコーナーで3月13日から28回にわたり、映画界の殺陣師たちが「殺陣」について書いている。スター俳優の立ち回りに関する話題が続く中、4月17日夕刊で、殺陣師の足立伶二郎さんが「カラミ」を紹介している。
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<切られ専門だから平素の訓練もはげしい。ケサに切られたときにはできるだけ体をうしろにそらせなければシンの剣は引立たない。ふだん、エビのように体をそらせる練習をつんでおく必要が生じる。サバ飛びというのもある。バタッと腹ばいに倒れることだ。高いところから落ちてケガをしないようになるにも、相当の年期がいる>
福本さんも、まさにそのようなカラミに育っていった。