Go toできない今、戦後の団体旅行ブームを振り返る
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1都3県の緊急事態宣言が再延長された。
1回目の緊急事態宣言は昨年の4月7日だったから、もうすぐ1年になる。このコラムを始めて間もない昨年6月に、今年はまだ出張に出ていない、と書いた筆者は、以後も1都3県の外に出ていない。Go toトラベルキャンペーンも、利用する前に停止してしまった。

海外に出る人も減った。観光庁の公式サイトによると、昨年1年間に出国した日本人の数は317万人。前年の2008万人から約84%減である。例年なら今頃は大学生が大挙して卒業旅行に出かける時期だが、今年はさすがにほとんどいないだろう。
57年前、海外旅行の制限がなくなった
今のように、日本人が気軽に海外旅行を楽しめるようになったのは、そう古いことではない。
戦前は、行政に届け出て海外旅行免状を受けた人だけが外国に出られた。戦後、独立を回復した後も、海外への渡航は公務員や商社マン、留学生などに限られていた。

制限がなくなったのは1964年(昭和39年)4月1日。この日、日本は国際通貨基金(IMF)の8条国となった。
同年3月12日の朝刊経済面に掲載された解説記事は、<八条国に移ることは、国際貿易の面で日本がようやく“戦後、過渡期”の段階に終止符を打つことである。(中略)これからは「外貨が足らないから…」という理由では、輸入を制限できない>と説明している。
つまり、海外旅行が制限されていた大きな理由の一つは、国全体で不足気味だった外貨の流出を防ぐためだった。個人旅行者が持ち出すドルが国家財政を左右する程度の経済力だったのかと思うと感慨深い。結局、海外旅行が解禁されても、当初は渡航者が持ち出せる外貨は500ドルまでとの上限が設けられた。
そんなわけで、自由化した後も、観光収支が悪化すると制限論が再燃した。68年(昭和43年)2月23日夕刊は<海外旅行自粛を 運輸相提案 外貨流出防止で>との見出しで、当時の中曽根康弘運輸相が閣議で提案した内容を報じている。<同相の提案の骨子は外貨流出防止のため(1)不要不急の海外旅行の自粛>と、見慣れた文言が目につく。制限する法的根拠がないので「自粛」を求める、という発想は今と変わらない。
積み立てで準備はできたが……

自由化から少し遡って紙面を眺めると、60年(昭和35年)から銀行による「海外旅行預金」の広告が急増していることに気づく。
例えば、61年(昭和36年)1月24日朝刊の日本勧業銀行(今のみずほ銀行の前身のひとつ)の広告は「かんぎんの海外旅行預金で楽しい夢を」とのコピーで、「Aコース 毎月31,000で世界一周」「Bコース 毎月23,000で欧州一周」など六つのコースが紹介されている(いずれも積立期間は3年)。ほかにも富士銀行、住友銀行、三井銀行、東海銀行等々、当時の主要な銀行の多くが似たような金融商品の広告を出している。
この現象の背景は、63年(昭和38年)9月17日夕刊都民版の記事に詳しい。
<各銀行の海外積み立て旅行は三年満期で三十五年七月から始まった。当時は三年後のことしの春ごろにはすでに完全自由化で滞在費の外貨のワクも大幅に認められるとの見通しだった>。海外旅行の自由化を見越して、それまでに旅行資金をためましょう、という趣旨だったわけだ。記事によると加入者数は推定5万人、すでに数千人が満額に達したとされている。
ところが。この記事の見出しは<お金はたまったが… まだ解けぬ海外旅行 積み立て解約もふえる>。想定されていた時期が来ても、制限は解除されなかった。銀行の誤算である。<観光旅行は外貨流出を防ぐ政府の方針で、まだ完全にシャットアウトされているありさま。そこで「いつ旅行できるのだ」という苦情が舞い込むわけ>。旅行熱をあおった銀行が苦しい立場に立たされている、という内容だった。
とはいえIMFが8条国入りを決定した以上、日本政府もいつまでも先延ばしはできず、半年後には無事解禁。64年4月1日夕刊社会面は、解禁初日の外務省旅券課の様子を伝えている。
<窓口にやってきた第一号は(中略)総勢百三十人の「鎌倉彫り愛好会」の一行。旅行さきは香港で滞在日数は五日と一週間の二コース。初渡航の人も多く、ちょっととまどいがち>
海外で「旅の恥はかきすて」…ひんしゅくを買った

今とは違い、海外の情報に乏しい当時の日本人が頼ったのは、旅行会社による団体旅行だった。日本航空は65年(昭和40年)1月に旅行会社と提携して海外旅行ツアー「ジャルパック」を売り出し、人気を集めた。
ただし、その団体旅行客たちの旅先での振る舞いは、国内外を問わず、ひんしゅくを買うこともあった。73年(昭和48年)10月24日朝刊気流面に、静岡県の病院事務員の女性(22)の<行儀悪いおとなの団体旅行>という投稿がある。旅先の京都で遭遇した団体客たちへの苦情である。<道の両端にあるさくから手を入れ、花を折って胸にさし、竹の木をゆすって、ワイワイ。ある寺では、平然と墓石をけとばす人までいた>。まさに「旅の恥はかきすて」。こりゃダメである。