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「世話焼き」は敬遠されても、やっぱり必要な「お見合い」

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編集委員 片山一弘

 少子化、そして生涯未婚率の上昇が続く。最近の紙面には<AI婚活 少子化対策「切り札」>との記事が掲載された(3月21日朝刊「くらしIT」面)。自治体で人工知能を活用したマッチングサービスが広がっている、という話題だ。

 マッチングサービスと呼べば今ふうだけれども、要は、互いに求める条件や相性が合いそうな男女を引き合わせる作業。かつては地域や職場の、いわゆる「世話焼きおじさん」「お見合いおばさん」たちが担っていた機能でもある。自治体が前面に出てきたのは近年の傾向のような印象があるけれど、調べてみると、過去にもそういう時期はあった。

戦争が引き起こした深刻な結婚難

鎌倉・鶴岡八幡宮で行われた集団見合い大会。記事によれば、鎌倉市長は「この見合いで結ばれたら、不肖私が仲人になる」とあいさつした=1948年(昭和23年)5月6日朝刊
鎌倉・鶴岡八幡宮で行われた集団見合い大会。記事によれば、鎌倉市長は「この見合いで結ばれたら、不肖私が仲人になる」とあいさつした=1948年(昭和23年)5月6日朝刊

 敗戦から3年弱の1948年(昭和23年)。5月6日朝刊2面<結婚市場 鎌倉市の集団見合>という記事に、<市が仲人役を買って出た鎌倉市主催の集団見合大会が端午の節句の五日鎌倉鶴ケ岡八幡宮境内でいとアイアイと行われた>と報じられている。

 女性陣は<山口県からハセ参じたという一婦人(三三)をはじめ母親付添いで訪問着に飾り立てられた娘さん、コドモ連れの未亡人などがシャナリシャナリと乗りこんでくる>、男性は<東京で三つの工場を経営するという中年実業家、復員の会社員、大学生など>、男80人、女60人が集まり、<午後二時までに十数組の現地取りきめ縁談がメデタク成立した>という。

 この時代、ある年代の女性たちは大変な結婚難に直面していた。1950年(昭和25年)における年齢別人口を見ると、25~29歳、30~34歳では男性より女性の方が約50万人、35~39歳でも約30万人多い。他の年齢層に比べて、際立った差がある。この世代の多くの男性が、太平洋戦争で戦地に送り込まれ、命を落としたためだ。これでは未婚、あるいは夫を亡くした女性たちが結婚を求めても個人の力ではいかんともしがたく、自治体が対策に乗り出した事業のひとつが、この集団見合いだった。

「見合い結婚は古い」とさからいつつも…

興安丸船長がお見合いの“仲人”を買って出たことを報じる記事=1956年(昭和31年)8月3日朝刊
興安丸船長がお見合いの“仲人”を買って出たことを報じる記事=1956年(昭和31年)8月3日朝刊

 1956年(昭和31年)8月3日朝刊社会面には、奇妙な見出しが見られる。<舞鶴で40分間のお見合い 帰国者木村さんと未亡人坂井さん>。記事は<興安丸船長玉有勇氏に帰国者のなかから“理想の花ムコ”さがしをたのんだ>という大阪府の33歳の女性が、母親同伴で京都府舞鶴市を訪れ、東京都出身の35歳の男性と旅館でお見合いをした、と写真入りで報じている。時間はわずか40分。記者が感想を聞くと、女性は<微笑するばかり>、男性は<急な話なのでまだ気持は決まっていません。(略)郷里には母親が私の帰りを待ちわびているでしょうから一刻も早く帰るつもりです>と戸惑いを隠せない。

 興安丸は、戦後、中国やシベリアから帰国する元日本兵や在留邦人を約20回にわたって運んだ船で、玉有氏はその船長。つまり<木村さん>は中国からの帰還兵で、戦後11年を経てようやく日本の土を踏んだばかりだった。帰宅もしないうちに、いきなりお見合いとは驚くが、この種の依頼は珍しくなかったようで、その後も興安丸の航海を伝える記事では「帰国者たちの中で配偶者候補を探してほしい」という女性からの依頼話がしばしば話題に上っている。

興安丸は、多くの引き揚げ者を舞鶴へ送り届けた=1956年(昭和31年)12月26日
興安丸は、多くの引き揚げ者を舞鶴へ送り届けた=1956年(昭和31年)12月26日

 一方で、この時代には、女性たちの口から、見合い結婚についての疑念や抵抗感が語られるようになっていく。

 上述の鎌倉の集団見合いの記事には、アメリカの新聞クリスチャン・サイエンス・モニター東京特派員のゴードン・ウオーカー記者の手記が添えられている。ウオーカー記者は、異例の集団見合いに驚きつつも、<ある娘は型通り媒酌人にたのんだりあれこれ金をかけるのを嫌つてこの見合に参加したと語つた><ある娘は本人の意思に反してはたが決めるという古い慣習にさからつてこの新形式をえらんだ>とも書いており、新時代の息吹が感じられる。

 読者の悩みに長年耳を傾けてきた読売新聞の「人生案内」にも、結婚に関する相談は数多く寄せられた。見合い結婚に関する相談が目立つようになったのは60年代以降だ。学歴と容姿へのコンプレックスに苦しむ若い女性が「他人にたよる見合い結婚はいやです」と書き、気が進まないまま見合い結婚した夫が嫌になったという女性は「いまの時代に見合い結婚などしたのがまちがいでした」とつづっている。すでに「見合い結婚は古い」という感覚が広まっていたように見える。

 65年(昭和40年)4月2日朝刊婦人面の投稿欄「赤でんわ」では、「お見合いお断り」と自由を享受していつつも、ふと寂しさと不安を覚えた26歳の女性が、世話好きの知人宅を訪ねてみたものの、<数枚の写真を広げながら「この人ね、はげてるけど、まだ四十前なのよ」「この方は月収五万よ。でもね、子供さんが二人いるの……」>とまくしたてる相手にげんなりして家路につき、<枯れ木に花は咲かずとも、たぶん私は自分の思い通りに歩く人生に幸福を感じることだろう>と心情を吐露している。

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1971668 0 ちょっと前はどうだっけ? 2021/04/09 10:00:00 2021/04/09 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/04/20210407-OYT8I50069-T.jpg?type=thumbnail

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