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景観の敵と言われても、昭和生まれには愛着ある電柱・電線

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編集委員 片山一弘

 ゴールデンウィークのさなか、国土交通省が全国の電柱の新設状況の実態調査に初めて乗り出す、との記事が掲載された(2021年=令和3年=5月3日朝刊1面)。

 <国は、電線を地中に埋める無電柱化を進めているが、電柱はそれを上回るペースで立てられ、年間7万本ずつ増えている。新設の理由や用途などを把握して抑制を図る狙いで、無電柱化の促進につなげたい考えだ>

ジェーン台風による高潮で、鉄橋上を腹ばいになって避難する人たち。電柱は強風でなぎ倒されている(兵庫県尼崎市で)=1950年(昭和25年)9月3日
ジェーン台風による高潮で、鉄橋上を腹ばいになって避難する人たち。電柱は強風でなぎ倒されている(兵庫県尼崎市で)=1950年(昭和25年)9月3日

 記事によると全国の電柱の数は約3600万本。無電柱化は年間1万5000本ペースとの推計だから、先は長い。

「悪役」になったのは1980年代?

 多くの国の主要都市では、電線は地中を通すのが常識だそうで、日本全国に林立する電柱と電線を「都市景観を汚す悪役」とみなす声は、1980年代あたりから強まってきた。

 86年(昭和61年)1月9日解説面「論点」に、建築家の田渕清氏による<「電柱のない街」実現を 都市景観の考え方見直せ>との寄稿がある。電線と電柱の弊害を<都市における電線地中化の遅滞は、もはや漫然と、やむを得ぬ現象として、放置して置けぬ時に来ている><狭隘(きょうあい)道路における電柱の存在は、景観もさることながら、交通災害、精神荒廃の危険の極にあり、もはや、電柱公害の状態にあると言える>と説いている。

重要伝統的建造物群保存地区に選定された奈良県橿原市今井町。電線が地中化され、景観にプラスに作用した
重要伝統的建造物群保存地区に選定された奈良県橿原市今井町。電線が地中化され、景観にプラスに作用した

 94年(平成6年)11月11日夕刊に掲載された「第19回読売 都市・住宅シンポジウム」の中で、建築家の清家清氏は<景観、快適性という点では、電柱と電線もひどすぎる。広告、看板もあふれている。こんな街には住みたくない>と酷評した。

実は明治末からあった景観論争

 実は、この種の議論は古くからある。今から111年前、1910年(明治43年)6月18日朝刊1面にトップ記事として<論議 都市美の保護>が掲載されている。

東京スカイツリーを含む景観を、電線が汚しているとみるか、引き立てているとみるか。意見は分かれるところだ(東京・東上野で)
東京スカイツリーを含む景観を、電線が汚しているとみるか、引き立てているとみるか。意見は分かれるところだ(東京・東上野で)

 <東京市街の不潔にして乱雑なるは家屋の概して粗悪なると建築の様式及び塗色の無制限なると、()の他あらゆる都市的設備の不完全なるとに()るものなりと(いえど)も、これ()(ほか)にして(なお)一個の原因、(すなわ)ち市民自身が故意に市街の体裁を破壊すること、(あたか)も小学児童が自身の手を()つて顔面に墨を塗り付くるに似たるの事実あり>と、当局にも市民にも手厳しい。

 在日外国人の意見として、<初めて東京の人となりたる時に(おい)て最も市街の乱雑を感ぜしむるものは電柱の遠慮会釈()く街路の両側に林立せると、()れに貼付せる各種の広告のだらし無きと、商店の看板の拙悪にして無作法なるもの多きとの三にして>というくだりは、現代の論法とほぼ変わらない。東京の景観を形成した美意識が欧米の基準にまったくそぐわないのは、高度成長やバブル経済の拝金主義に起因するわけではなく、江戸が東京という近代都市に生まれ変わって間もない頃からの傾向だったようだ。

西南戦争で進んだ通信網

国道25号の拡張工事に合わせ、行われた電柱の移動作業。立ち並ぶ電柱を、記事は「都心のジャングル」と評した(大阪市で)=1960年(昭和35年)3月14日朝刊大阪市内版
国道25号の拡張工事に合わせ、行われた電柱の移動作業。立ち並ぶ電柱を、記事は「都心のジャングル」と評した(大阪市で)=1960年(昭和35年)3月14日朝刊大阪市内版

 そもそも電柱はいつからあるのだろう。

 筆者が以前、西南戦争の激戦地だった熊本県の田原坂について記事を書いた時、激しい銃撃戦によって<建物も電柱も破壊され、地中は弾丸だらけ>と記したところ、「そんな時代に電柱なんてあったの?」と、同僚や知人から聞かれた。西南戦争があったのは1877年(明治10年)。江戸時代が終わってからさほど()っていない時期だけに、意外に感じた人もいたようだ。

 当時すでに電柱があったことは、例えば1995年(平成7年)6月3日朝刊社会面<「西郷戦死」電報を発見>との記事からわかる。西南戦争での西郷隆盛の死を知らせる公式電報が、防衛庁防衛研究所の所蔵資料から発見されたという内容だ。電文は鹿児島県・加治木分局から発信され、6か所の中継所を経て、5時間25分後に大阪征討陸軍事務所に届いたという。電柱と電線がなくては電報は送れない。この頃すでに鹿児島から大阪まで電柱と電線が整備されていたことがわかる。むしろ西南戦争のために九州の通信網の整備が進んだ。今も「電信柱」との呼び方が残る通り、電柱と電線は、まず電信のための通信網として整備され、やがて電気線が加わった。

 1883年(明治16年)3月17日朝刊には<今度其筋(そのすじ)にて日本全国中の電信柱の員数を取調べられし(とこ)ろ十三年の調べには八万七千四百本で有りしが十五年の調べには十一万二千七百八十一本であり(なお)今年は幾分か増加せられしとぞ>との記事がある。

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2066322 0 ちょっと前はどうだっけ? 2021/05/21 10:00:00 2021/05/20 18:51:52 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/05/20210519-OYT8I50059-T.jpg?type=thumbnail

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