我々はどうやって人と待ち合わせていたのだったか

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

編集委員 片山一弘

 1985年(昭和60年)に週刊少年ジャンプで連載が始まった北条司さんの人気漫画「シティーハンター」は、今でもたびたびアニメ化されたり舞台化されたりと、根強い人気がある。主人公は、狙撃やボディーガードを請け負う 凄腕(すごうで) の「スイーパー」。新宿駅東口の伝言板に「XYZ」の文字と連絡先を書く、というのが彼への依頼方法だった。

しばしば現れない、待ち合わせの相手

ハチ公の銅像前で待ち合わせる人々(東京・渋谷駅前で)=1955年(昭和30年)5月26日朝刊
ハチ公の銅像前で待ち合わせる人々(東京・渋谷駅前で)=1955年(昭和30年)5月26日朝刊

 このように、かつて多くの駅の改札の脇には、黒板の伝言板が置かれていた。待ち合わせた相手が予定時刻に現れなかったような時に、備え付けのチョークで伝言を書くことができる。どこの駅でもよく見かける風景の一部だった。

 今も昔も、待ち合わせの相手は、しばしば現れないことがある。

 1879年(明治12年)6月12日の朝刊に、ある男が警官に取り押さえられた話が載っている。上野の<待合茶屋中村屋の表に頬被りした怪しい男が (たたず) んで (しき) りに家の様子を (うかが) ッて居る処を巡行の巡査が 見認(みと) めて 的然(てっきり)盗賊(どろぼう)(すぐ) に取り押へて (ただ) されると>、以下、男の身元といきさつの説明が延々と続くのだが、要するにこの大吉という男、ある女性に誘いをかけたところ夜の12時においでと言われ、待ちかねて日没早々に訪ねてみたら店は閉まっており、いつまで待っても相手は現れない。だまされたと悟って帰ろうとしたところを巡査に怪しまれて取り押さえられた、という次第。何ともたわいのない「事件」である。

 大吉は天保時代(1831~45年)の生まれとあるので江戸時代の人なのだが、それから100年たっても、人々が待ち合わせる方法は、大して変わらなかった。

待ち合わせ場所が一新されても…「連絡不能」相変わらず

東京駅八重洲口の待ち合わせ場所として誕生して10年。すっかり定着した「銀の鈴」=1978年(昭和53年)1月31日
東京駅八重洲口の待ち合わせ場所として誕生して10年。すっかり定着した「銀の鈴」=1978年(昭和53年)1月31日

 100年後の1979年(昭和54年)に、筆者は中学3年生。当時の東京の代表的な待ち合わせ場所といえば、東京駅の銀の鈴、渋谷駅のハチ公像、新宿駅のアルプス広場などがあった。場所こそ現代的になったものの、そこに相手が現れなければ、ただ待つか諦めるしかなかったのは、哀れな大吉と同じだ。喫茶店を使えば電話はできるが、お金も時間もかかる。多くの人は手軽に野外で待ち合わせることを選んだ。

 74年(昭和49年)10月5日の朝刊都民版には、<待ち合わせ>と題した写真スケッチが載っている。新宿駅東口のタカノフルーツパーラー前で待ち合わせる人々の写真とともに、その様子が<「待ったぁー、ごめんね」とかけ寄る人あり、時計をちらちら見ては落ち着かない人あり、新宿東口のタカノ前は、夕方ともなると待ち合わせの若い人たちが目立つ>などと描写されている。

待ち合わせの人々でにぎわう東京・新宿の「スタジオアルタ」前=1986年(昭和61年)6月10日朝刊
待ち合わせの人々でにぎわう東京・新宿の「スタジオアルタ」前=1986年(昭和61年)6月10日朝刊

 えとが一回りした86年(昭和61年)6月10日朝刊「家庭とくらし」面には<待ち合わせ場所 東京で様がわり>と、若者に人気の待ち合わせ場所が紹介されている。新宿東口では人気テレビ番組「笑っていいとも!」の収録場所として知られたスタジオアルタ前や、南口のルミネスクエア、ミロードといったファッションビル。渋谷ではハチ公前の他に、109など。場所は新しくなっても、連絡不能な場所であることは変わらない。

1

2

3

無断転載・複製を禁じます
スクラップは会員限定です

使い方
2336935 0 ちょっと前はどうだっけ? 2021/09/03 15:00:00 2021/09/03 15:10:37 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/09/20210901-OYT8I50073-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)