デスクの特権
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新聞社の鬼デスクというのは、自分は机の前にじっと座っているだけのくせに、若い記者たちが必死になって現場で集めてきた貴重な証言を冷酷無比に取捨選択し、時には珠玉のネタをばっさりと割愛したりして、血も涙もない人種だと世間から思われているかもしれないが、実際そのとおりである。新聞記事には決められた行数というものがある。いくら良い話であっても、無制限に載せるわけにはいかない。
そうして鬼デスクが割愛した話の中には、当然ながら「お宝」がたくさんある。1本の記事を書くのに、記者たちは関係者から本当にたくさんの話を聞いている。あれも載せたい、これも載せたい、でも文脈やバランスを考えるとどうしても載せられない……。新聞作りはそんな葛藤の連続といえる。が、逆にいうと、結果的に記事に載らないエピソードを含めて記者からあれこれ聞けるのは、デスクだけの特権でもある。きょうはその特権で得た一部をご紹介させていただこうと思う。

昨年の12月、社会部の大井雅之記者は、28年前に夏の甲子園で繰り広げられた伝説の試合にまつわる記事を書いた。高知・明徳義塾高校が、石川・星稜高校の松井秀喜選手を5打席連続で敬遠した、1992年のあの試合である。元高校球児でもある大井記者は、いろんな関係者に取材する中で、当時の明徳義塾の主将だった筒井健一さんにも話を聞いた。
あのとき、前代未聞の5敬遠を断行した明徳義塾への世間の風当たりはものすごく強かった。最終回には観客らが次々とメガホンをグラウンドに投げ入れ、試合が一時中断したほどだ。ただ、当の選手たちは割と冷静だったようで、筒井さんも「否定的な意見をいう人たちは、スポーツを本気でやったことがないのでは」と受け止める余裕があった。
星稜に勝って3回戦の相手を決める抽選のために主将として改めて甲子園を訪れた筒井さんは、そこでも観客から「帰れ」などと心ないヤジを浴びた。気にしない、気にしない。自分たちはルールにのっとって、勝つためにやったんだから。何も恥じることはない。

平常心で抽選会に臨んだつもりの筒井さんだったが、ヤジの嵐の中、たまたま隣にいた奈良・天理高校の主将にポンポンとお尻を