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東京・銀座の托鉢僧―望月崇英さんの足跡

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社会部デスク 木下敦子

 望月崇英(しゅうえい)さんという名前を知らなくても、東京・銀座4丁目交差点の和光本館前で毎日(たく)(はつ)をしていたお坊さん、といえば、「ああ、あの人」と思い当たる方もいるだろう。あの人が望月さんである。きらびやかな大都会の真ん中で法衣を身にまとい、背中をすっと伸ばして、伏し目がちに静かな声で読経する。その姿は、雑踏の中に溶け込んでいながら、どこか心に残る趣があった。その望月さんが1月18日、新型コロナウイルスに感染して亡くなった。66歳。衝撃は大きく、今でも「本当だろうか」と思う。

東京・銀座4丁目で托鉢する望月さん。読売新聞記事でも紹介した(2011年6月)=中嶋基樹撮影
東京・銀座4丁目で托鉢する望月さん。読売新聞記事でも紹介した(2011年6月)=中嶋基樹撮影

 私が望月さんに最初に会ったのは、東日本大震災が起きて間もない2011年5月上旬、岩手県大槌町のがれきの中だった。見渡す限り、破壊された建物の破片が広がる一角で、望月さんは祈っていた。傍らに被災者とみられる女性が1人。取材のために被災地入りしていた私は、がれきの中に埋もれるようにして一心に祈る望月さんの姿をたまたま目にし、引き込まれるように話をきいた。

がれきの中で、犠牲者を供養する望月さん(左)。傍らの女性から「親しい人が亡くなって悲しい」と告げられ、その場で祈った(2011年5月)=木下敦子撮影
がれきの中で、犠牲者を供養する望月さん(左)。傍らの女性から「親しい人が亡くなって悲しい」と告げられ、その場で祈った(2011年5月)=木下敦子撮影

大槌の街は、津波と火災で壊滅していた。祈りをささげる望月さん(2011年5月)=木下敦子撮影
大槌の街は、津波と火災で壊滅していた。祈りをささげる望月さん(2011年5月)=木下敦子撮影

 かつてアメリカで長く暮らし、帰国後、高野山で修行して高野山真言宗の僧侶となったという望月さんは、特定の寺に所属することなく、個人で活動を続けていた。震災の混乱の中で、犠牲者の土葬(仮埋葬)に踏み切った宮城県東松島市に入り、市の職員に申し出て供養の祈りをささげた。この経験で僧侶としての自らの使命を感じ取った望月さんは、その後も週末ごとに被災地を回っては、犠牲者に供養のお経をあげているのだという。頼まれて読経することもあれば、誰もいない場所で祈りをささげることもあった。そして、ふだんは東京・銀座で托鉢をしているのだと教えてくれた。

震災当時、犠牲者の仮埋葬場所に足を運んだ望月さん(左)。「一体一体、心を込めてお見送りした」と話していた(宮城県東松島市で)=白井糺さん提供
震災当時、犠牲者の仮埋葬場所に足を運んだ望月さん(左)。「一体一体、心を込めてお見送りした」と話していた(宮城県東松島市で)=白井糺さん提供

 被災地での取材を終え、東京に戻った後に銀座に行ってみると、確かに望月さんがいた(2011年6月12日付の本紙記事で紹介。下記参照)。その後、私は大阪に転勤となり、3年半後に東京に戻ってくると、やはり銀座で望月さんが托鉢をしていた。その後も時々、銀座に立ち寄っては望月さんがいるかどうか確かめたが、平日の昼間なら大抵、いた。聞けば、その後もずっと被災地通いを続けているという。午前中は築地にある友人の焼き鳥店でアルバイトをして、午後から銀座に立つ。東京で託された祈りを、被災地に届けたいのだとも話していた。

2011年6月12日付の本紙記事
2011年6月12日付の本紙記事

 望月さんの()(ほう)が知れると、托鉢をしていた銀座4丁目交差点の一角には連日、花を手向けたり、手を合わせたり、思い出を語りに来たりする人が絶えず訪れた。どうも望月さんは、あの銀座のど真ん中で、様々な人の悩みや相談ごとに耳を傾けていたようだ。

 望月さんの人生は、実に起伏に富んでいる。

 アルバイト先の焼き鳥店の店主であり、高校時代からの親友でもある高田顕治さん(67)らによると、望月さんは東京都内の高校を卒業後、ミュージシャンを目指して1970年代に米ニューヨークに渡り、現地で様々なアルバイトをしながら10年以上暮らした。帰国後は、バイク冒険家の風間(しん)()さん(70)の助手として、風間さんがバイクで史上初の南極点到達を成し遂げた時のベースキャンプ設営を担ったり、パリ・ダカールの旅に同行したり。共通の友人に木工家の白井(ただし)さん(73)や、俳優の根津甚八さん(2016年に69歳で死去)がいて、それぞれ釣りや旅、山登りをともに楽しんだ。

俳優の根津甚八さん(左)、木工作家の白井糺さん(左から2人目)、バイク冒険家の風間深志さん(右から2人目)とともに写真に納まる若き日の望月さん(右)。釣りや自然をこよなく愛していた=白井糺さん提供
俳優の根津甚八さん(左)、木工作家の白井糺さん(左から2人目)、バイク冒険家の風間深志さん(右から2人目)とともに写真に納まる若き日の望月さん(右)。釣りや自然をこよなく愛していた=白井糺さん提供

洋服好きで、かつては古着屋でも働いていたという望月さん。アウトドアも得意だった=白井さん提供
洋服好きで、かつては古着屋でも働いていたという望月さん。アウトドアも得意だった=白井さん提供

 どこか異国風の(ふう)(ぼう)も相まって、友人たちからは「アントニオ」と呼ばれていた。根津さんの妻・仁香さんは「アントニオは、根津に無言で寄り添ってくれた人。2人でしょっちゅう釣りに行っては、特に話もせずに別々に楽しんでいた。魂でつながっている、という感じだった」と振り返る。

 40歳代で自らの人生に何ごとかを感じ取ったのだろうか。それまで縁もゆかりもなかった僧侶の道へ進んだ。友人たちは「アントニオがお坊さんに?」と驚いたが、信念は揺らがず、修行を終えて僧籍を得た。そんな望月さんが銀座の真ん中で托鉢を始めたのは、震災の前年、2010年の夏だったという。なぜ銀座だったのか、真の理由は分からない。バイト先の焼き鳥店に近かったことに加え、かつて空襲で多くの人が亡くなった東京都心は供養の場所として適当だと考えたのかも知れない。いずれにしても、当初驚いた友人たちはその後、「あの場所での托鉢は、アントニオの天職だった」と口をそろえることになる。

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1853805 0 デスクの目~社会部 2021/02/19 15:00:00 2021/02/19 15:07:03 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/02/20210218-OYT8I50011-T.jpg?type=thumbnail

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