沈没船で見た日本兵の「涙」…開戦から80年

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社会部デスク 高沢剛史

 この12月で日米開戦から80年となった。かつて激戦地だった南の島。その海底に沈む朽ちた船で見た兵士の「涙」について書きたいと思う。

戦没船40隻が眠る地へ

沈没船内は慎重に進む(いずれも2015年撮影)
沈没船内は慎重に進む(いずれも2015年撮影)

 2004年、新婚旅行の行き先として選んだのは、中部太平洋のトラック諸島(現ミクロネシア連邦・チューク州)だった。戦艦「大和」や「武蔵」も停泊した連合艦隊の一大拠点として知られ、1944年、米機動部隊の攻撃により約40隻の艦船が沈んだ場所だ。希望を告げると妻は微妙な表情を浮かべたが、どうしてもこの目で戦没船を見たかった。

 太平洋戦争で没した艦船の多くは、生身の人間が潜ることができる深さには沈んでいない。例えば戦艦・大和は350メートルの海底に横たわっている。トラック諸島は浅い環礁に設けられた停泊地だったため、水深数十メートル以内に眠る船が多いのだ。

 もちろん、こうした「レック(沈船)ダイビング」には細心の注意が必要だ。通常の潜水とは異なり、天井がある沈船内に入り込むため、空気切れなどの異常が起きても、すぐに水面まで浮上できないからだ。船内で迷ったり、ダイビング器材のホース類が船内で絡んだりした場合は、脱出も難しくなる。それでも実際に潜って空襲を追体験したいと思った。

朽ち果てた船内で見た無数の光

 当時の潜水記録をめくってみる。航空機運搬船として運用された「富士川丸」は、最大水深26.8メートル付近を探索した。船首部分にある砲を見た後、船の廊下をくぐり抜け、船倉に入った。船体は (さび) に覆われ、付着した無数の海中生物が年月の流れを物語っていた。特設潜水母艦として徴用された「平安丸」は、全長約160メートルの巨体を横倒しにして沈んでいた。それ以外の船にも巨大な砲弾やガスマスク、小銃弾が遺留され、濃厚に戦争の記憶をとどめていた。

トラック諸島の周辺には今も多くの船が沈んでいる
トラック諸島の周辺には今も多くの船が沈んでいる

 一番印象に残ったのは、夜間潜水だった。強力なライトで前を照らし、真っ暗な富士川丸の船内に入っていく。海水は日中よりも冷たく感じ、密度も増したかのようだった。聞こえるのは自分とバディ(同行者)の「プシュー、プシュー」という呼吸音だけ。息苦しさすら感じるほど凝縮された時間だった。

 朽ち果てた船内を進み、ブリッジと思われる場所にたどり着いた。米軍機の攻撃でこの船が沈んだのは1944年2月17日だ。 轟音(ごうおん) とともに大量の海水が流入する中で、乗員は懸命に操船し、船を救おうとしたのだと思う。海中に没する刹那、乗員は何を見たのだろうか……。思いを巡らせているうち、ふと気付いた。周りに無数の光が漂っているのだ。「なんだろう?」。ライトの筒先を自分の胸に押し当て、光量を落とす。じっと見渡すと、漆黒の闇の中でいくつもの青白い光が輝き、消えていく。それらは、夜光虫だったのだと思う。しかし、私にはこの海域で戦死した乗員たちの涙に見えて仕方がなかった。

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2605211 0 デスクの目~社会部 2021/12/17 15:00:00 2021/12/21 11:58:49 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/12/20211215-OYT8I50045-T.jpg?type=thumbnail

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