終戦から4年後、上野で2歳児が保護された

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編集委員 平石冬樹

 終戦から4年たった1949年11月、東京・上野の商業施設の前に、2歳ぐらいの男児が立ち尽くしていた。警察に保護され、児童養護施設に収容された。親がつけた名前はわからず、Kと名付けられた。

東京・上野駅の地下道で寝る戦災孤児たち(1946年12月)
東京・上野駅の地下道で寝る戦災孤児たち(1946年12月)

 太平洋戦争末期、東京は米爆撃機の度重なる空襲で焼き尽くされた。約70万戸が全焼、被災者は約300万人、10万人以上が亡くなったとされる。下町では焼き出された人々が上野に集まり、地下道に座り込んだ。その中には子どもも大勢いた。親を失った幼子は物乞いや盗み、残飯をあさって生きた、と伝わる。

 戦後の混乱と貧困はどれほど尾を引いていたのだろう。親に置き去りにされたのか、迷子になったのか、あるいは親が亡くなったのか。いろいろと想像をかきたてられるが、なぜ一人でそこに立っていたかはわからない。

戦災孤児が暮らした東京都の板橋養育院少年保護寮の食事風景(1946年8月)
戦災孤児が暮らした東京都の板橋養育院少年保護寮の食事風景(1946年8月)

 間もなく養護施設から里子に出されたが、健康上の理由で縁組は解かれ、別の施設に移って入院した。そこの医師が成育状態から5歳と推定、さかのぼって47年生まれの誕生日も決められた。施設の寮で暮らしながら学校に通った。中学卒業後は職業訓練所で技術を身につけ、配管工事の仕事に就いた。

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1506923 0 編集委員の目 2020/09/29 10:00:00 2020/09/29 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/09/20200924-OYT8I50049-T.jpg?type=thumbnail

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