五輪と映像……IOCの「譲れない一線」とは

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編集委員 結城和香子

 2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けた、コスト縮減のための簡素化の議論を見ていると、国際オリンピック委員会(IOC)にとっての「譲れない一線」がどこにあるのかが逆に浮かび上がってくる。IOCが重視しているのは、「映像」の中の五輪ではないか。テレビ等の放送権がIOC収入の柱であることはもちろんだが、軸足は、むしろ放送を通じた五輪イメージの、世界への発信にあるように見える。

「テレビ映り」重視し過ぎでは?

ソチ五輪の開会式に登場した五輪のマーク。四つの輪だけが広がった(2014年2月)
ソチ五輪の開会式に登場した五輪のマーク。四つの輪だけが広がった(2014年2月)

 トーマス・バッハIOC会長は、コロナ禍の中で開かれる大会は、新たな社会のありかたに沿った形を模索すること、「五輪の必要不可欠な要素に回帰」し、他は簡素化の検討対象にすることを繰り返し表明している。IOCが聖域に指定する不可欠な要素とは、選手、そして選手たちの五輪体験だ。

 五輪の中核である選手重視は当然だ。ただ、各論を聞いていると、例えば試合会場の装飾は「テレビに映らない部分」を縮減する。開閉会式の入場行進を大幅に短縮できないのは、それが選手たちの貴重な五輪体験であると同時に、(各国・地域で)放送権を持つテレビ局にも大切だから……といった話が聞こえてくる。

 五輪を取材していても、「テレビ映り」を重視し過ぎているのでは、と感じることが増えている。例えば2014年ソチ冬季五輪では、開会式のクライマックスである聖火台の点火で、会場内に集まった大観衆は、最終聖火走者が外に「走り去って行く」という珍しい光景を目撃した。会場の外に大がかりな聖火台があり、そこに点火される映像を、観衆はスクリーンで見物したのだ。余談だが同じソチの開会式で、五つの輪が開く仕掛けが故障し、四つの輪のまま式典が終わった後、公式映像として「五つの輪」が開いたものが報じられ、ちょっとした騒ぎになったことも思い出す。共通するのは、現場で起きることよりも、世界に流れる映像に完璧さを求める考え方だ。16年リオデジャネイロ五輪、18年平昌五輪でも、程度の差はあれ、そんな感覚を味わった。

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1569844 0 編集委員の目 2020/10/23 10:00:00 2020/10/23 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/10/20201021-OYT8I50015-T.jpg?type=thumbnail

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