沈黙を破った中村喜四郎・元建設相、野党共闘の行方

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編集委員 吉田清久

 臨時国会召集日の10月26日、菅首相の所信表明演説を聴きに衆院本会議場をのぞいた。野党第一党、立憲民主党の議席の最後列に目をやると、枝野幸男代表の右隣に、小沢一郎元自民党幹事長(78)、枝野の左側には、3人おいて中村喜四郎元建設相(71)の議席が割り当てられていた。

激しく対立した小沢と同じ立憲民主党に

1990年の衆院選で、小沢一郎氏(左)とだるまを抱える中村喜四郎氏(中央)。手前は海部首相(当時)(1990年2月19日、自民党本部で)
1990年の衆院選で、小沢一郎氏(左)とだるまを抱える中村喜四郎氏(中央)。手前は海部首相(当時)(1990年2月19日、自民党本部で)

 この日、小沢は議場に姿を現さなかったが、中村は開場の15分前に早々と着席、背筋をピンと伸ばして感慨深げに人影まばらな議場を眺めていた。

 小沢は衆院当選17回、かたや中村は14回。議員在職歴もそれぞれ51年と42年で、現役議員では第1位と3位である。

 かつて同じ自民党旧竹下派に所属し、小沢が自民党の幹事長のときに中村が総務局長で補佐するなど、両氏は「兄弟分」とみられていた。しかし、派閥の後継争いや、衆院に小選挙区比例代表並立制を導入する政治改革を巡って激しく対立、決別した。1992年のことだ。

 その二人が27年ぶりに同じ政党に身を置くことになったのである。

ゼネコン汚職で実刑、失職後に返り咲く

 93年に自民党を飛び出した小沢の政治軌跡はご存じの通り。30年以上、永田町政治の興亡に身を置いてきた。

 一方の中村といえば、対照的だ。

 ゼネコン汚職で逮捕されて94年に自民党を離党。その後、2003年に実刑判決が確定して失職、2年後の05年に衆院に返り咲いた。自民離党後は無所属で、少し前までメディアの取材も一切受けず、ひたすら沈黙を保ってきた。いまや中村が何者か、よく知らない若い記者も少なくない。

 私は、中村が建設相だった1993年に旧建設省を担当し、旧竹下派のプリンスとして頭角を現した中村を何度も取材した。当時の中村はまだ44歳。前述の権力闘争の際に取材すると、小沢への(てき)(がい)(しん)をむき出しにした。建設大臣専用車の中だったが、その(すご)()に思わずひるんだことを覚えている。

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1588420 0 編集委員の目 2020/10/30 10:00:00 2020/10/30 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/10/20201028-OYT8I50094-T.jpg?type=thumbnail

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