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「認知症と時間」

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編集委員 猪熊律子

 「時間というのはね、わたくしが持っている唯一のものなんだ。時間以外のものはね、ボクは持っていないの。だから時間を人に差し上げるのは、自分の生きている貴重なものを差し上げるわけだから、大変なことなんだよ」

認知機能検査を開発した長谷川医師が認知症に

 自ら認知症であると公表して、この10月で丸3年がたった精神科医の長谷川和夫さん(91)。3年が過ぎた感想はどうかと、先日、久しぶりに話を聞く中で印象に残ったのが冒頭の言葉だ。この言葉について語る前に、長谷川さんのことをよくご存じない方のために、簡単に紹介をしておきたい。

 「今日は何年の何月何日ですか」「これから言う三つの言葉を言ってみてください。あとでまた聞きますので、よく覚えておいてください。桜、猫、電車」──。

約50年前、認知症の研究を始めた頃の長谷川さん
約50年前、認知症の研究を始めた頃の長谷川さん

 こんな質問を耳にしたことがある人は多いかもしれない。今や、高齢者の約6人に1人といわれる認知症。その診断の際、日本中で広く使われている認知機能検査「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発したのが長谷川さんだ。

 この検査ですごいと思ったことが二つある。

 一つは、1974年という非常に早い時期に公表されたこと。現在、世界中で使われている検査に、アメリカで開発された「MMSE(ミニメンタルステート検査)」という長谷川式に似たものがある。それより1年前に開発・公表されていたのは画期的だ。

2017年、認知症と公表した頃の長谷川さん
2017年、認知症と公表した頃の長谷川さん

 もう一つは、たった9問(1991年に改訂される前でも11問)しかない質問がよく練られていること。例えば、「100から7を順番に引いてください」という質問がある。最初の「93」は比較的答えやすいかもしれない。しかし、そこからまた7を引く際には、「93」という数字を覚えておきながら7を引くという、二つの作業を同時にこなさなければならない。認知症になると、同時に複数の作業をするのが難しくなる(料理は典型)とされ、その状態をみているのがこの質問だ。

 そんなすごい実績を持ち、半世紀にわたって認知症と向き合ってきた長谷川さんが、自分も認知症となり、88歳の時に公表した。当初、自分ではアルツハイマー型認知症ではないかと思っていたが、専門病院で検査を受けたところ、 ()(ぎん)()(りゅう) 性認知症という、高齢期になってから表れやすい、進行が緩やかなタイプとわかったという。

認知症の人は何もわからなくなるわけではない

 認知症と自覚・確信してからの長谷川さんは、それを隠すことはせず、「ありのまま」の姿や感じた言葉を社会に発信する行動に出た。

 「認知症になったからといって、突然、人が変わるわけではない。自分の住む世界は昔も今も連続しているし、昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいる」

 「認知症になっても大丈夫。認知症になるのは決して特別なことではないし、むやみに怖がる必要はない」

 「認知症の人と接する時は、その人が話すまで待ち、何を言うかを注意深く聴いてほしい。『時間がかかるから無理』と思うかもしれないが、『聴く』というのは『待つ』ということ。『待つ』というのは、その人に自分の時間を差し上げるということ」

 この最後の言葉は、冒頭の言葉とつながる。冒頭の言葉と併せ読むと、認知症の人は「時間を頂く」一方の存在ではなく、「時間を差し上げる」存在でもあるという、言われてみれば、ごく当たり前のことに気づかされる。

今年2月、91歳の誕生日を迎えた長谷川さん。妻と
今年2月、91歳の誕生日を迎えた長谷川さん。妻と

 認知症になると何もわからなくなり、「何を言っているのかよくわからない」「同じことばかり話す」と周囲からは思われがちだ。しかし、早期診断・発見の広がりもあり、自分の気持ちを自分の言葉で表現できる人が増えている。「本人が落ち着いて話せるような静かな環境を作れば、自分の気持ちを表現できる場合が多い」と話す認知症の専門家もいる。

 要は、こちらに認知症の人の言葉を聴く気があるかどうか、もっと言えば、自分の時間を差し上げる気があるのかどうか──。問われているのは、相手ではなく、むしろこちら側。こちらの気持ちや態度ということなのかもしれない、と思う。

認知症の人の声に耳を傾ける動き

 認知症の人の言葉に耳を傾ける動きは、自治体の間でも広がっている。2019年4月に「認知症の人とともに築く総活躍のまち条例」を施行した和歌山県御坊市は、本人たちの様々な声を聞きながら、認知症の人が希望を持って活躍できる街を目指す条例を完成させた。今年10月、「認知症とともに生きる希望条例」を施行した東京都世田谷区では、条例の検討委員会に認知症の人が複数参加。区は認知症施策の実施に当たり、「常に本人の視点に立ち、本人及びその家族の意見を聴かなければならない」と条文に盛り込んだ。

 国レベルでも、認知症基本法案が昨年、議員立法で国会に提出された。コロナ禍の影響もあり、継続審議となっているが、本人たちの言葉が各方面で生かされるよう、その後押しとなるような法律を作ることが望まれる。

「コロナは『時間泥棒』だ」

 最後に、「認知症と時間」に関して心に残った話を紹介したい。

 話を聞いたのは今年4月で、発言者は認知症の妻を持つ、関西に住む70歳代の男性だ。男性には10歳年上の妻がおり、10年ほど前から認知症になったため、男性は自宅で介護を続けてきた。だが、在宅介護が限界となり、数年前、やむなく妻を介護施設に入れた。それから毎日のように面会に訪れていたが、新型コロナウイルス感染症の予防のため、2月末から会えなくなってしまったという。その時、この男性が言った言葉が忘れられない。

 「認知症の妻が僕のことをわかる時間は残りわずか。僕たち夫婦にとっては、本当に貴重な時間なのに、それがどんどん奪われていく。コロナは『時間泥棒』だと思うんですよ」

 こちらも人生の折り返し地点をとっくに過ぎた年齢になったからだろうか。「認知症と時間」について、今年は、いろいろなことを考える時が増えている。

プロフィル
猪熊 律子( いのくま・りつこ
 社会保障分野の取材が長く、2014~17年、社会保障部長。社会保障に関心を持つ若者が増えてほしいと、建設的に楽しく議論をする「社会保障の哲学カフェ」の開催を提案している。著書に「#社会保障、はじめました。」(SCICUS、2018年)、「ボクはやっと認知症のことがわかった」(共著、KADOKAWA、2019年)など。

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使い方
1621471 0 編集委員の目 2020/11/13 10:00:00 2021/11/19 18:35:14 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/11/20201111-OYT8I50030-T.jpg?type=thumbnail

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