1980年12月8日、S・ワンダーの悲傷

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編集委員 前田恭二

 12月8日と言えば、何より日米開戦の日だが、ある世代の音楽ファンにとっては、別の意味でも痛切に記憶されていよう。米ニューヨークで1980年、ジョン・レノンが射殺された日だ。

 高校1年生だった筆者なども、直後、FMで楽曲が流れ続けたこと、オトナ向けで読むのがはばかられた「PLAYBOY 日本版」に生前のロングインタビューが載り、兄が買ってきたことを思い出す。

ジョン・レノンの死が投げかけた波紋

『ギル・スコット=ヘロン自伝』
『ギル・スコット=ヘロン自伝』

 あれから40年、いわゆる積ん読だった『ギル・スコット=ヘロン自伝』(浅羽麗訳、スペースシャワーブックス、2013年)をふと手に取り、アメリカ社会に投げかけた波紋に、改めて思いをはせることになった。まさに12月8日、ソウルミュージックの大スター、スティービー・ワンダーがどう受け止めたのか、ライブツアーに加わっていた人物として、生々しく証言しているからだ。

 知名度十分とは言えないギル・スコット=ヘロンについて、まずは説明すべきだろう。『自伝』でも、世に出た頃、「あなたはジャズマンですか? 詩人ですか? シンガーですか? それとも……?」などと質問され、そのうちには「野菜ですか? 鉱物ですか?」と来るだろうと思った、と書いているほどだ。野菜や鉱物ではないにせよ、ほかのどれにもあてはまりそうな人物ではある。

 生まれは1949年、スティービー・ワンダーのひとつ上にあたる。黒人として詩や音楽に傾倒し、デビュー盤は1970年、打楽器に乗せて詩を朗読する「Small Talk at 125th and Lenox」。出だしの「The Revolution Will Not Be Televised」は、家でテレビを見ていても、革命はやらないぜ、と挑発する内容だ。続いてロン・カーターといったジャズマンを起用した「ピーセス・オブ・ア・マン」を出すが、総じてソウル畑の個性派ミュージシャンという印象が強い。2011年に物故し、すでに世にない。

 その没後に出版された『自伝』を読むと、あけすけな文体にもかかわらず、理性的で、しかも純粋さを失わなかった人間性が伝わってくる。とりわけスティービー・ワンダーへの尊敬の念は深い。

 天才少年として脚光を浴び、1970年代、次々に名作群を発表したスーパースターは、黒人運動を率いたキング牧師の誕生日を国の祝日にすべく、活動したことがある。日本でもおなじみの「ハッピー・バースデイ」は、キャンペーンのための楽曲だ。

 ギル・スコット=ヘロンはこの運動に感銘を受け、多くの人に記憶されるべきだと考えた。本書自体、そこに立ち会ったことをハイライトに据え、自身もまた黒人として苦しみ、闘ってきた来し方を語る構成となっている。

 スティービー・ワンダーは1980年、その「ハッピー・バースデイ」を含むアルバム「ホッター・ザン・ジュライ」を発表し、ツアーに出る。ギル・スコット=ヘロンは前座に起用された。

 当初はレゲエの伝説的な存在、ボブ・マーリーが予定され、都合がつかない11月初めの1~2週間という話だったが、その病気が悪化したことから、長期にわたり、帯同することになった。

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1639222 0 編集委員の目 2020/11/20 10:00:00 2020/11/20 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/11/20201118-OYT8I50061-T.jpg?type=thumbnail

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