3度の甲子園V ファンをわかせた木内マジック
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高校野球で、茨城の取手二高と常総学院高の監督として、3度の甲子園優勝を成し遂げた木内幸男さんが11月24日に亡くなった。89歳だった。

木内さんが常総学院を率いて、全国制覇した2003年夏、記者は水戸支局のデスクで高校野球を担当、県民向けの号外の記事も書いた。その年の読売新聞茨城版「県内10大ニュース」の1位は、「常総、夏の甲子園V」。県民、そして全国の高校野球ファンを大いにわかせてくれた名将に合掌。
桑田、清原 KKコンビのPL学園を撃破
木内さんは、トリッキーな采配を振るう「木内マジック」で知られる。例えば、取手二高時代の1984年に行われた夏の大会決勝、桑田真澄、清原和博のKKコンビを擁するPL学園高との戦いでは、打ち込まれたエースを右翼に移して守らせ、リリーフをマウンドに送った。ワンアウトを取った後、再びマウンドに上がったエースは清原、桑田を見事に打ち取った。当時は珍しかった作戦だ。バントかと思えば強攻策。控えの選手を大胆に起用する。選手の個性を生かした自在な野球が信条だった。

マジックをかける相手は敵だけではない。元NHKアナウンサーの西田善夫さんは著書「スポーツと言葉」でこんなエピソードを紹介している。PL戦の前の日のミーティングで、木内さんは緊張する選手たちに、「旗も2本(優勝旗と準優勝旗)あるそうだから、取手に帰っても格好がつく。だから明日は気楽にやれ」と言葉をかけた。翌日、この話を取手二高の関係者から聞いた西田さんは慌てたそうだ。2本あるのは春の選抜大会で、夏は優勝旗しかない。試合直前、西田さんからその事実を聞いた木内さんは「おーい。夏は優勝旗1本しかないんだと」とナインに伝えた。どう落とし前をつけるのか。「旗が1本しかないんだったら、おまえらやっぱ勝つしかないな」との一言に、選手たちはどっと笑ったという。