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「政治が大きく動く年」に、100年ぶりの難題が襲う

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編集委員 吉田清久

 「秋田出身のたたき上げ」を売りにした菅義偉首相だが、大正時代にも「岩手出身の平民宰相」と呼ばれた首相がいた。原敬(1856~1921)である。

忘れられていた原内閣のスペイン風邪との闘い

原敬首相
原敬首相
「軽い風邪」が回復した原首相が帰京したことを伝える読売新聞記事(1918年10月29日)。微恙(びよう)は「軽い病気」の意
「軽い風邪」が回復した原首相が帰京したことを伝える読売新聞記事(1918年10月29日)。微恙(びよう)は「軽い病気」の意

 原は、首相在任時、世界的に流行したスペイン風邪に感染した。自身の日記「原敬日記」(1918年10月29日付)にこう記している。

 「二十九日 午前腰越より帰京、風邪は近来各地に(でん)()せし流行感冒(俗に西班牙(スペイン)風という)なりしが、二日間ばかりにて下熱し、昨夜は全く平熱となりたれば今朝帰京せしなり」

 その日の読売新聞を調べると、紙面の左隅に小さく「原首相の()(よう)」とある。風邪のため帰京を見合わせて別荘(鎌倉・腰越)に静養していた原が、同日午前に夫人と新橋駅着の汽車で帰京したことを記事は伝えている。

 スペイン風邪の国内患者数は、約2380万人、死者は約39万人に上る。当時の日本の人口が約5700万人だから、流行の(すさ)まじさがわかるというものだ。

 原が首相だった時期(1918~21)はスペイン風邪の流行期と重なる。不思議なのは、原内閣が、大流行とどう闘ったのか、歴史の授業で教わった記憶がないことだ。原が対処した難題として、教科書に書いてあったのは「シベリア出兵」や「米騒動」といった話だ。

 スペイン風邪の大流行は、いつしか人々の記憶から忘れ去られていたようだ。

新型コロナで菅内閣の支持率急降下

 100年後の令和。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が襲った。この1年、新聞・テレビが新型コロナのことを報じない日はない。ここに来て国内でも感染が急拡大し、年明けには2度目の緊急事態宣言が出された。菅内閣は「対応が後手に回っている」と批判され、内閣支持率も急落した。

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1779164 0 編集委員の目 2021/01/19 10:00:00 2021/01/19 10:26:28 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/01/20210114-OYT8I50049-T.jpg?type=thumbnail

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