「政治が大きく動く年」に、100年ぶりの難題が襲う
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「秋田出身のたたき上げ」を売りにした菅義偉首相だが、大正時代にも「岩手出身の平民宰相」と呼ばれた首相がいた。原敬(1856~1921)である。
忘れられていた原内閣のスペイン風邪との闘い


原は、首相在任時、世界的に流行したスペイン風邪に感染した。自身の日記「原敬日記」(1918年10月29日付)にこう記している。
「二十九日 午前腰越より帰京、風邪は近来各地に
その日の読売新聞を調べると、紙面の左隅に小さく「原首相の
スペイン風邪の国内患者数は、約2380万人、死者は約39万人に上る。当時の日本の人口が約5700万人だから、流行の
原が首相だった時期(1918~21)はスペイン風邪の流行期と重なる。不思議なのは、原内閣が、大流行とどう闘ったのか、歴史の授業で教わった記憶がないことだ。原が対処した難題として、教科書に書いてあったのは「シベリア出兵」や「米騒動」といった話だ。
スペイン風邪の大流行は、いつしか人々の記憶から忘れ去られていたようだ。
新型コロナで菅内閣の支持率急降下
100年後の令和。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が襲った。この1年、新聞・テレビが新型コロナのことを報じない日はない。ここに来て国内でも感染が急拡大し、年明けには2度目の緊急事態宣言が出された。菅内閣は「対応が後手に回っている」と批判され、内閣支持率も急落した。