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植物への愛、ひそやかなリレー

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編集委員 前田恭二

 ルイーズ・グリュックさんの話から書き始めてみる。

 誰だったかな、という方もあるだろう。先ごろ、ノーベル文学賞を受賞した米国の女性詩人である。とはいえ、賞が発表されたのは2020年10月のこと。世間の注目はもはや、バイデン大統領の就任式で自作を朗読した22歳の女性詩人、アマンダ・ゴーマンさんに移っている。何をいまごろ、というそしりはまぬがれない。

ノーベル文学賞詩人、国際物流に紛れた代表作

ノーベル文学賞受賞決定後、米マサチューセッツ州ケンブリッジの自宅前で、メディアと話すルイーズ・グリュックさん=AP(2020年10月8日)
ノーベル文学賞受賞決定後、米マサチューセッツ州ケンブリッジの自宅前で、メディアと話すルイーズ・グリュックさん=AP(2020年10月8日)

 ちょっぴり言いわけをする。実はグリュックさんの詩集がなかなか手に入らなかった。受賞が決まった直後、興味をもった一事があり、某ネット通販大手で注文した。そのうちに届くだろうと思っていたのだが、これが来ない。問い合わせたら、新型コロナウイルスの影響で国際物流が混乱し、紛失したとみられるとの回答だった。

 どこの国かも定かならぬトワイライトゾーンに漂うらしい一冊はあきらめ、最近、書店の洋書コーナーで買った。表紙に「WINNER of the NOBEL PRIZE」と刷った版が入荷していた。

 グリュックさんが1992年に出版した代表作「The Wild Iris」である。

 この詩集に興味を持ったのは、肝心の詩ではなく表紙、正確に言えば、表紙に使われている写真のためである。

 ノーベル文学賞が発表された夜、ネットで書影を見かけた。おそらくサイアノタイプだな、それも古い……と気になった。拡大してみると、案の定、Anna Atkins の名前があった。なるほど、アンナ・アトキンスの写真か、面白いチョイスだなと思った。

表紙の写真にドラマがあった

サイアノタイプの技術は1840年代に確立した
サイアノタイプの技術は1840年代に確立した

 サイアノタイプとは、要するに青写真、日光写真のこと。古典的な写真技法のひとつだ。英国ではフォックス・タルボットが写真術を発明し、1839年に公表する。その直後の1842年、科学者ジョン・ハーシェルが創出したのがサイアノタイプである。青く発色する感光液を塗った紙に何か物体を置き、日に当てる。感光したところとしないところで発色が異なり、物体の形が現れる。学習雑誌の付録にあったな、と思い出す方もあるだろう。

 そのサイアノタイプを写真集に使用したパイオニアが、英国の女性植物学者だったアンナ・アトキンスにほかならない。

 1843年に「Photographs of British Algae」という写真集をまとめている。Algae は藻類のこと。私家版だったことから見落とされがちだが、世界初の写真集と言えなくもない。アトキンス自身、最初の女性写真家と呼ばれることがある。決して有名とは言えないけれど、もう少し世に知られてよい人ではある。

母をなくし…植物写真の先駆者に

アンナ・アトキンス 《ギンシダ、ジャマイカ》1851~54年頃 サイアノタイプ 東京都写真美術館蔵
アンナ・アトキンス 《ギンシダ、ジャマイカ》1851~54年頃 サイアノタイプ 東京都写真美術館蔵

 アトキンスは1799年、ロンドンの南東に位置する町で生まれた。

 母親は出産のダメージから回復せず、世を去った。不幸なことだが、ゆえに父娘の関係は密接になり、そのことが人生を方向づけた。

 父のジョン・ジョージ・チルドレンは、王立協会の事務総長までつとめた科学者だった。娘に感化を及ぼし、応援した。植物学の大家で、やがて王立植物園キューガーデンの園長に就くことになる人物に、1835年、自慢するかのように「娘は植物学に多大な愛情を持っていて、植物標本を作っています」と書き送っている。

 チルドレンは、英国における写真術の発明者、タルボットとも親しかった。ふたりの手紙は多数あり、実験の進展を見守っていたことがわかる。1839年、王立協会でタルボットが成果を発表した頃も協会の主要メンバーであり、学術報告と数点のプリントも受け取っていた。サイアノタイプのジョン・ハーシェルも、1842年に論文を発表した際、すぐにチルドレンへ送付している。写真術が生まれ出るサークルの、まさにただなかに父親はいたのである。

 こうした環境のもと、娘もサイアノタイプの技法を習得し、海藻やシダ類などの標本を写真にしはじめる。以上は「Sun gardens : cyanotypes by Anna Atkins」という本に記されるところだが、挿図として、アトキンスが描いた水彩画も載っている。芸術的センスもあったらしい。サイアノタイプを選んだのは技法上の見地にとどまらず、ブルーの発色に魅了されてのことだったかもしれない。

 ちなみに、コロナ禍のなかで医療従事者へ感謝をささげる東京都歴史文化財団のネット企画「青コレ!」にも、アトキンスのサイアノタイプは紹介されている。澄んだ青は確かに美しい。

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1820763 0 編集委員の目 2021/02/05 10:00:00 2021/02/05 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/02/20210202-OYT8I50065-T.jpg?type=thumbnail

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