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五輪とジェンダー…時代とともに変化する理念

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編集委員 結城和香子

 ジェンダー平等の論議の中で、「オリンピズムの精神」に反する、という批判を耳にして待てよ、と思った。確かに今の五輪運動は、性差を含む多様性を推進する立場を取っており、五輪憲章にも明記されている。でもそれは、120年以上続く近代五輪史で、ここ25年ほどと新しい。もともと古代ギリシャ五輪でも、近代五輪の(あけぼの)にも、女性の競技参加は認められてさえいなかった。いつからオリンピズムは、女性差別に(たい)()する理念になったのだろう、と。

古代五輪は女性観戦も不可、近代五輪の創始者クーベルタンも女性参加に反対

ジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエア前に置かれたクーベルタン立像(東京都新宿区)
ジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエア前に置かれたクーベルタン立像(東京都新宿区)

 ギリシャのオリンピアで1000年以上の長きにわたり開催された古代五輪では、女性の参加も観戦も認められず(女神デメテルの司祭一人を除く)、違反すれば原則死罪だった。19世紀末に近代五輪を創始したピエール・ド・クーベルタン男爵も、当時の社会通念も反映して、女性の競技参加に反対し続けた。

 1894年に国際オリンピック委員会(IOC)を作り、第2代会長(1896~1925年)となったクーベルタン男爵は、例えば死去前年の36年にこう書いている。「真の五輪勇者は男性だ。女性は自らを見せ物にしない限り、スポーツを行うなとは言わないが、その役割は、勝者に冠を授けることであるべきだ」。言葉通り、男爵が生前奨励した女性へのメダルは、五輪に参加し、6人の息子を産んだ、スウェーデン女性の「五輪精神」をたたえるものだった。

IOCの「女性とスポーツ作業部会(のちの委員会)」を率いたアニタ・デフランツ現IOC副会長(1996年、五輪百年を掲げたアトランタ大会時)
IOCの「女性とスポーツ作業部会(のちの委員会)」を率いたアニタ・デフランツ現IOC副会長(1996年、五輪百年を掲げたアトランタ大会時)

 五輪の復興と、スポーツを通じた人間教育という先見の明を持った男爵でも、その時代の社会の影響は免れない。「Nobody is perfect(誰も完璧な人間じゃないの)」。アニタ・デフランツIOC副会長(米)が語っていた、男爵評を思い出す。

 スポーツでの「ジェンダー平等」は、社会の動きと軌を一にして、多くの女性たちの挑戦が切り開いたものだ。偏見などから頓挫した陸上競技の女子800メートル種目の導入や、初期の性別検査の屈辱的な歴史など、女性の五輪史の「事件」は数多い。女性参画の推進を掲げた「ブライトン宣言」など国際社会の動きを受け、IOCが五輪憲章を変更し、初めて「男女平等」の推進を明記したのは、近代五輪の第1回大会からちょうど100年、1996年のことだった。

変化する五輪憲章…1996年・男女平等、2014年・性的指向による差別禁止

 五輪憲章の「理念」も、現実社会を映して変わってきた経緯がある。例えば2014年。ソチ冬季五輪では、開催国ロシアが導入した「同性愛宣伝禁止法」が国際的な波紋を呼んだ。米国を軸に、メディアの批判、政治首脳の開会式のボイコット表明と同性愛を自認する著名人を代表とする動きなど、騒ぎが広がった。矛先は、ロシアに対して強く抗議をしないIOCにも向けられた。

東京五輪・パラリンピック組織委員会緊急会合で辞任を表明し、厳しい表情を見せる森喜朗・前会長。女性蔑視と受け取れる不適切な発言の責任を取った(2月12日、東京都中央区で)
東京五輪・パラリンピック組織委員会緊急会合で辞任を表明し、厳しい表情を見せる森喜朗・前会長。女性蔑視と受け取れる不適切な発言の責任を取った(2月12日、東京都中央区で)

 IOCはその後、この経験から、差別反対をうたう憲章の条項に「性的指向による差別」の禁止を初めて盛り込んだ。今年2月、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗前会長の発言をめぐり、批判が国際社会に広がった際、IOCが急いで距離を取り、声明でジェンダー平等への取り組みを列挙したのにはこんな事情もある。

 オリンピズムがうたう基本精神とは、スポーツを通じた人間教育と、その普及によるより良い平和な社会作りへの貢献だ。しかし五輪憲章には、時代の変遷とともに、多様性を認める豊かな社会への希求も、色濃く反映されるようになってきた。五輪が掲げる理想もまた、時代の変化の中で、変わってきたということなのだ。

遅々として増えなかった スポーツ組織の「意思決定」に参画する女性の割合

 近年、ボクシングやスキージャンプなどでも壁が取り払われ、競技面で女子選手の参加が大きく進んだ。今夏の東京五輪の参加選手枠は、48.8%と半数に迫る。反面遅々として変わってこなかったのが、組織などでの「意思決定」に参画する女性の割合だ。

 森前会長の一件が引き金となった国内外の関心の高まりに、組織委員会や日本オリンピック委員会などで、自らの率先も含め、違いを超えるスポーツの力をどう社会に伝えるかを、検討する取り組みが始まっている。東京大会開催が、日本社会に変革をもたらす一助になればと思う。

東京五輪・パラリンピックに向けた5者会談であいさつする大会組織委員会の橋本会長(中央)。右は丸川五輪相。リモートで参加する小池都知事(左)(3月3日、東京都中央区で)
東京五輪・パラリンピックに向けた5者会談であいさつする大会組織委員会の橋本会長(中央)。右は丸川五輪相。リモートで参加する小池都知事(左)(3月3日、東京都中央区で)

 国際女性デーだった3月8日。豪州大使館で開かれた女性とスポーツの催しで、16年リオデジャネイロ五輪の女子ラグビー(7人制)で初代優勝を果たした豪州代表チームの一人、アリシア・ルーカス(カーク)さん(28)がスピーチを行った。「ラグビーを通じた経験が、私に、前例がない世界でも道はできるのだと教えてくれた」。五輪の歴史や理念をよそに、今の時代を生きる先駆者たちは、エレガントで自然体だ。

プロフィル
結城 和香子( ゆうき・わかこ
 国際オリンピック委員会(IOC)の取材を26年以上担当、現地特派員として報じたシドニー、アテネ大会を含め、1994年以降の夏季・冬季五輪13大会と、夏季・冬季パラリンピック8大会を取材。2011年から編集委員。スポーツ庁スポーツ審議会委員、日本オリンピック・アカデミー理事。著書に「オリンピックの光と影 東京招致の勝利とスポーツの力」(中央公論新社)など。

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1904007 0 編集委員の目 2021/03/12 10:00:00 2021/03/12 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/03/20210310-OYT8I50038-T.jpg?type=thumbnail

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