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眠れない夜は…「ラジオ深夜便」

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編集委員 猪熊律子

 私事で恐縮だが、(かかと)を骨折した。想像以上の痛みと(しび)れ、腫れで、夜、眠れない。薬を飲み、痛みが少し和らいだかと思ったら、副作用で吐き気と食欲不振が起き、さらに眠れなくなった。無理に眠ろうとすると、かえって頭が()えるし、明かりをつけて本を読み始めれば、眠気が一層遠のく。

 ではどうしたか。

 暗闇の中で聴いていたのが、NHKの「ラジオ深夜便」だ。午後11時過ぎから翌朝5時まで、ゲストを招いてのトークや音楽紹介、古典作品の朗読などが続く。

 確か、この番組は誕生してもう30年ぐらいたっていたはず。そう思って、深夜便に当初からかかわった元NHKアナウンサー宇田川清江さんの著書「眠れぬ夜のラジオ深夜便」(新潮社、2004年刊)や、過去の新聞記事などを読むと、これがなかなか面白い。

誕生のきっかけは、昭和天皇の容体悪化

 多くのリスナーがいるこの人気番組誕生のそもそものきっかけは昭和天皇だ。

 かつて、NHKのラジオは災害時などを除き、深夜や未明は放送を休止していた。それを変えたのが、昭和天皇の容体の悪化である。体に異変が見つかり、腸の手術をされたのが1987年。翌年9月に大量に血を吐かれ、その後も吐血や下血が続いた。

昭和天皇の崩御を伝える1989年1月7日の読売新聞夕刊
昭和天皇の崩御を伝える1989年1月7日の読売新聞夕刊

 容体の変化を随時伝えるため、NHKはテレビ、ラジオを24時間放送する態勢に変え、深夜や未明にはクラシック音楽を流し続けた。この速報態勢は89年1月、天皇崩御とともに終わったが、「夜中の音楽が耳に快く、安らぐので、これからも続けてほしい」という投書がたくさん寄せられた。

 「聴取者からの希望を、このまま、聞き流しておくことはない」と考えたのが、当時、ラジオ制作部部長だった故・春海一郎さんだ。三億円事件や連合赤軍あさま山荘事件などを手がけたバリバリの事件記者。ラジオを担当する前は社会部長も務めた。

「ラジオ深夜便」の生みの親、春海一郎さんの写真が載った紙面(2000年1月16日読売新聞)
「ラジオ深夜便」の生みの親、春海一郎さんの写真が載った紙面(2000年1月16日読売新聞)

狙いは「民放の逆」、ゆったりとした大人限定の深夜放送

 折しも、衛星放送に続き、ラジオも終夜放送を検討し始めた頃。どんな内容が良いかと悩んだが、深夜放送では既に民放に30年ほどの後れを取っている。「ならば、民放と反対のことをしよう」。春海さんはそう方針を定めた。

 その方針とは 1、対象は大人限定にする 2、できるだけゆっくりと話す 3、パーソナリティーはNHKアナウンサーのOB、OGとする 4、クラシックの名曲など静かな音楽を流す 5、ニュースや地震情報はすぐ流す──など。

 これに沿って90年の大型連休中に「十夜連続特集・ノンストップ・ラジオ深夜便」を放送したところ、深夜は寝ているとばかり思っていた中高年層から「こんな番組を待っていた」という便りが2000通近く届いた。民放では若者向けの放送が人気を博していたが、深夜は若者の専売特許ではなかったというわけだ。

 中高年層からの熱い支持を背景に、92年度からレギュラー化され、98年には、深夜放送で新しい層を開拓した点が評価されて、菊池寛賞を受賞した。今では、リスナーと交流する集いが各地で開かれ、月刊誌も発行される名物番組に育った。

ラジオ深夜便について取り上げた紙面。「眠れない中高年に寄り添う」とある(1998年10月24日読売新聞)
ラジオ深夜便について取り上げた紙面。「眠れない中高年に寄り添う」とある(1998年10月24日読売新聞)

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1954374 0 編集委員の目 2021/04/02 10:00:00 2021/04/02 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/03/20210331-OYT8I50016-T.jpg?type=thumbnail

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