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この<まち>の下の記憶…被災地から

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編集委員 清水美明

 例えば、家族でトンカツをほおばるこの食卓の数メートル下には、10年前に多くの遺体が見つかった現場が眠っている――というセンテンスがあったとしよう。時系列で書き直せば、10年前の悲劇の現場はいまや復興を遂げ、かさ上げされた土地に宅地が造成されて、生活が再建された、というように穏当にはなる。しかし、東日本大震災の少なからぬ被災者は、生き延びた自分たちは文字通り、犠牲の上につくられた<まち>で暮らしていると自覚していて、冒頭のような、いささかどきっとする表現をあえて使う人たちがいるのだ。行方不明のわが子をしのび、自宅敷地部分のかさ上げを拒否し続けた遺族がいるように、東北沿岸部のまちには、復興事業とか土木工事といった文脈では理解できない<倫理的なもの>が確実に存在している。

東日本大震災の多くの被災地では、かさ上げ工事が進められた。津波の強いまちにつくり変えるためだった(2014年3月、岩手県で)
東日本大震災の多くの被災地では、かさ上げ工事が進められた。津波の強いまちにつくり変えるためだった(2014年3月、岩手県で)

住民が入れ替わり、記憶が失われても、<まち>はあり続ける

 災害などがあると、こうした足もとの感覚や倫理観は、<まち>にとって普遍的な意味を持つように思われてならないが、実際のところ、それは一面的な見方でしかない。

高輪築堤の遺構。当時の周辺は海で、船を通すための隙間(左)も設けられている(2021年2月、東京都港区で)
高輪築堤の遺構。当時の周辺は海で、船を通すための隙間(左)も設けられている(2021年2月、東京都港区で)

 あえて、わずか、と前置きさせてもらうと、わずか150年ほど前の鉄道 (れい)(めい) 期の構造物でさえ、都心のど真ん中に埋もれていることをだれもが忘れてしまい、再開発にともなって出土して大騒ぎになるくらいなのだ(注:東京・港区のJR駅周辺で見つかった高輪築堤と呼ばれる遺構のことです。念のため)。わずか、であっても、すべての住民が入れ替わるボリュームの歳月を経ると、当事者の世代の価値観が通用しなくなり、申し送りも伝承も怪しくなり、忘れ去られることを覚悟しないといけない。風化にはそれなりに必然的な側面がある。

 それでも、そこに何が眠り、何が起きた土地なのかを知らなくても、その周辺で暮らす人にとってそこは、愛着のあるこの<まち>であり続ける。ほかならぬ自分たちの人生がいきられる場所だからだ。そして自分を含む多くの住民の人生がいきられる過程で、命が尽き、記憶が失われても、<まち>は変わらずそこにあり続ける。むしろ、記憶だの痕跡だの関係なく、変わらずにその<まち>があるとだれもが確信できる。これこそが、アイデンティティーの最大のポイントであり、謎かもしれない。

 テレビドラマのタイトル(注:わたしは見たことがありませんが)にもなった「テセウスの船」という逸話は、まさに示唆的だ。たいせつな船の部材を一つずつ新しいものに取り換えていくと、最終的にすべての部材が交換され、もとの部材はひとつもない状態になる。それでも人はそれをもとの船とみなし、たいせつにし続ける。これをパラドックスに分類する議論もあるようだが、ちょっと違うと思う。そもそもわたしたち生き物だって、刻々と新陳代謝が進んで、脳から骨にいたるまで組織・細胞がすべて入れ替わっているのだ。それでもだれも、わたしのことを別人物になったなどと考えたりはしないだろう。

 同一性という性質は、思うほど単純ではないし、簡単に把握できない。時間という厄介な要素が入り込んでいるからだ。くだんの船の話がパラドックスのように感じられるのも、わたしたちの頭が知らぬ間に、時間の起点と終点を短絡させて、都合よく差分を求めてしまうからだろう。裏を返すと、1日でも1年でもなく、世代交代・新陳代謝・老化・成長・忘却といったじわじわと変化するタイプの時間軸(を丹念に追うこと)を、わたしたちの頭はもっとも苦手としている。日々の暮らし、最大2週間の潜伏警戒、数か月オーダーの波、年単位のワクチン問題等々、複数の時間軸を同時に思考しないといけないコロナの時代のわたしたちには、思い当たる節がたくさんあるはずだ。

<まち>の下にあるものを、わたしたちは日ごろ意識していない

 話を戻そう。

先日、おそらく生涯屈指の虹を見たときも、この風景の下のことを考えた(2021年5月、東京都内で筆者撮影)
先日、おそらく生涯屈指の虹を見たときも、この風景の下のことを考えた(2021年5月、東京都内で筆者撮影)

 東京であれば、爆撃機による度重なる空襲や、10万人ともいわれる犠牲者を出した関東大震災などの悲しみの出来事が、かろうじて、<まち>の下を想像するための糸口になるし、開発や掘削という人間の営為は、<まち>を覆っていた層、というか蓋を、めくるきっかけにもなる。そのとき、わたしたちが暮らし、働くこの<まち>の下もまた、被災地同様、かつて多くの人が暮らし、働いて、死んでいった場所なのだということに気づく。けれども、わたしたちは日ごろ、そんなことを意識して暮らし、働いているわけじゃない。いやむしろ、完全に忘れ去って暮らしている。別の時間軸で生きているのだ。その状態が、日常、と呼ばれている気もする。

 東日本大震災が起きたあの日からちょうど10年となった今年3月11日付の本紙に、 「復興 立ち向かう意志」と見出しのついた署名記事 を載せた。書きたかったのは、当たり前と思えることは、じつはひとつとして当たり前じゃない、ということに尽きる。ただ、それを新聞記事として書こうとすると、かなりの制約がかかる。

 このコラムでは、上記のような事情と紙幅の都合で触れられなかったその記事の続きを、いくつかの手つかずの宿題を解きながら書く。世の中には、わかりやすく説明するために、厄介な理路と面倒な手順を経るべき領域がある。ちょっとした挑戦になる。

 次回も、わたしたちがなにげなく、正確には意識することもなく居場所としているこの<まち>が、実際にはものすごく不思議な存在である、ということを掘り下げたい。

プロフィル
清水 美明( しみず・よしあき
 1989年入社。社会部で警視庁公安部、旧防衛庁など担当。秋田支局とさいたま支局でデスク、地方部次長などを経て、2015年から現職、東日本大震災の紙面統括を続けた。これまで松本(長野県)、静岡、横浜、金沢など15か所の街で暮らしたことがある。

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2124527 0 編集委員の目 2021/06/15 10:00:00 2021/06/15 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/06/20210608-OYT8I50060-T.jpg?type=thumbnail

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