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この<まち>の下の記憶(5)…建たなかった建築

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編集委員 清水美明

 せめてマラソンくらい沿道で見たいねと子供たちと話していたら、その開催地が札幌に変更になり、チケットも外れたので競技場周辺を散歩でもともくろんでいると、今度は新型コロナで寄りつけない。なんだか気持ちが最後まで盛り上がらず、ふたを開けてみれば、睡魔との闘いを要しなかったのに過去のどの五輪よりもテレビ中継をチェックしない大会になっていた。わたしの東京五輪の記憶は、本コラムでも写真を掲載した航空自衛隊T4の編隊飛行と、池江璃花子さんの涙だけになるかもしれない。けれど、子供たちには大きな印象を残したものがあったようだ。五輪のさなか、家にいるわたしに娘がこう尋ねてきた。「ね、あの人、なんてったっけ? すごいスタジアムがボツにされた人」

鮮烈な印象を残したザハ・ハディドさんの新国立競技場案

 ザハ・ハディドさんは、イラク出身で英国を拠点に活躍していた女性建築家だ。安藤忠雄さんが審査委員長を務めた2012年11月の新国立競技場基本構想のデザイン・コンクールで最優秀賞に選ばれた。東日本大震災・東京電力福島第一原発事故からまだ2年もたっていない時期。なんとなく気分もいまのようではなかったなかで、目が覚めるような鮮烈なデザインに度肝を抜かれた記憶がある。

 当時の記事には、「20年夏季五輪の東京誘致が実現すれば、五輪のメーンスタジアムとして使われる」と書かれている。仮定形ながら、主会場になる、と断言していることがとても重要だ。翌年9月にアルゼンチン・ブエノスアイレスで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)総会の安倍晋三さんのプレゼンは、福島第一原発事故について<Let me assure you, the situation is under control.(私から保証をいたします。状況は統御されています)>とスピーチした部分だけがいまも語り草になっているけれど(「コントロールできていないぞ」と多くの人からつっこまれた)、こういう発言をしていたことにもぜひ注意を向けてほしい。<a new stadium that will look like no other(ほかの、どんな競技場とも似ていない真新しいスタジアム)>。安倍さんに限らず、当時のすべての人の念頭にあったこの、かつて見たことのないスタジアムとは、ザハさんデザインのスタジアムにほかならなかったのだ。

ザハ案中止…国に信用がおけなくなる致命傷に

 途方もない事業費や、しまいにはデザインそのものにも批判が出て、採用取りやめが決まったのはスピーチの約2年後だ。うそをついた、とか子供じみたことは言いたくないが、大人たちは以来、一度決めたことはやり遂げろと子供に言い聞かせることができなくなった。何事も準備と計画が大事だと教えてきたくせに、事業費の見通しもなしに決めたのかと子供につっこまれてもなにも反論できなくなってしまった。

 巨額の復興事業が当面続くという時期に、五輪にうかれて、デザイン重視のバカ高いハコモノを造っている場合か、という雰囲気はたしかにあった。大会終了後の遺産(レガシー)の活用という考えも盛んに論じられた。かつてない異形のスタジアムに近隣住民は未知の圧迫感を覚えただろう。それぞれの言い分や気持ちはわかる。それでも日本社会が、熟議・意思決定・説明責任といったものをないがしろにして、その場の雰囲気でものごとをひっくり返してもいいという前例をつくったエポックな出来事ではなかったかと思っている。大げさに聞こえるかもしれないけれど、個人的には、国(国家や政府という意味ではなく)というものに信用がおけなくなる致命的に情けない事件だった。そして残念なことにその後も、2019年暮れのカルロス・ゴーン被告の国外逃亡など、信じがたいことがいくつも起きることになる。

 五輪とセットで語られてきた東日本大震災の被災地でさえ、大規模な土木工事によって造られた新しいまちは、震災の記憶をとどめる遺構となる。遺構としてデザインしたものでなくても、建築物・建造物にはかならず、メッセージが宿るのだ。そのメッセージをどう読み取り、語り直し、伝え続けていくかを考えるのも、建築・建造にかかわる人たちに宿命的に付随する仕事だろう。ザハ案白紙撤回の真相を知る立場にはないし、まして建築のプロでもないけれど、いまだにそこが見えてこないのが残念でならない。

夕日に染まる街並みを背景に浮かび上がる新しい国立競技場。3年の工期を経て完成した(2019年11月撮影、東京都新宿区)
夕日に染まる街並みを背景に浮かび上がる新しい国立競技場。3年の工期を経て完成した(2019年11月撮影、東京都新宿区)

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2436130 0 編集委員の目 2021/10/12 10:00:00 2021/10/12 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/10/20211005-OYT8I50034-T.jpg?type=thumbnail

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