<世界の中の日露戦争>第12回~旅順陥落と「血の日曜日」

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調査研究本部主任研究員 浅海伸夫

乃木更迭論

乃木希典司令官(前列右から4番目)と幕僚ら(1904年12月)
乃木希典司令官(前列右から4番目)と幕僚ら(1904年12月)

 乃木希典(まれすけ)司令官率いる第3軍は、1904(明治37)年8月の第1次旅順総攻撃失敗のあと、9月19日からの「9月攻撃」も、10月26日からの第2次旅順総攻撃も不首尾に終わります。

 砲弾不足から肉弾に頼る強襲作戦は、いたずらに犠牲者の数を増やし、日本国内では指揮官・乃木の「無能無策」をそしる声が高まります。東京の乃木の自宅には投石や非難の手紙が投げ込まれました。

 さらに、陸軍の幕僚陣からも、乃木大将は司令官として不適任だとする更迭論が浮上しました。

 11月26日、第3次旅順総攻撃が開始されます。しかし、ロシア軍の猛烈な反撃にさらされ、全滅する部隊が相次ぎました。

 乃木司令官は同日夕、特別支隊(各師団の歩兵らから選抜された3150人の奇襲部隊)の要塞突入を決断します。暗闇で敵味方を識別するため、全員が「白襷(しろだすき)」をつけたことから、「白襷隊」と呼ばれました。

 しかし、ロシア軍は探照灯を使って白兵攻撃に出る決死の隊員を発見すると、猛烈な集中射撃で襲いかかり、白襷隊員の大半が死傷しました。

旅順艦隊の壊滅

203高地から見る旅順港(1904年12月14日撮影)
203高地から見る旅順港(1904年12月14日撮影)

 相次ぐ敗報に乃木司令官は11月27日、ロシア軍要塞への正面攻撃を中止し、攻撃の中心を標高203メ―トル、旅順港を見下ろす「203高地」に変更するよう命じます。

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1341280 0 「世界と日本」史 2020/07/15 05:20:00 2020/07/14 18:32:32 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/07/20200708-OYT8I50017-T.jpg?type=thumbnail

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