<明治から大正へ>第4回~陸海軍の軍備増強

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調査研究本部主任研究員 浅海伸夫

「勝って兜の緒を締めよ」

 1905(明治38)年10月23日、横浜沖で明治天皇臨席のもと、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊に勝利した連合艦隊の凱旋(がいせん)観艦式が行われ、165隻の艦艇が参加しました。

横浜沖で行われた観艦式
横浜沖で行われた観艦式

 満艦飾の各軍艦は、天皇を迎えて皇礼砲を発し、乗員は君が代を吹奏して万歳を三唱、最敬礼を行いました。同盟国のイギリスや日露講和に尽力したアメリカも、軍艦を派遣して祝意を表しました。

 前日の22日、東郷平八郎・連合艦隊司令長官一行が上京すると、横浜から新橋、宮城(皇居)への沿道は、一行を歓迎する数万人の群衆で埋まりました。

 12月21日には、連合艦隊の解散式が旗艦「朝日」で挙行されます。日本海海戦時の旗艦「三笠」は9月11日、佐世保港内で爆発事故を起こし、同海戦の戦死者を上回る339人の犠牲者とともに沈没していました。

 解散式の席上、東郷司令長官は、以下のような「解散()辞」を述べました。

 「我が連合艦隊は、ここに解散することとなれり。(しか)れども我ら海軍軍人の責務は、決してこれがために軽減せるものにあらず。この戦役の収果を永遠に全くし、なお益々、国運の隆昌(りゅうしょう)扶持(ふじ)せんには、時の平戦を問わず、海軍が常にその武力を海洋に保全し、一朝緩急に応ずるの覚悟あるを要す。

 (しこう)して武力なるものは、艦船兵器等のみにあらずして、これを活用する無形の実力にあり。百発百中の一砲、()く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを(さと)らば、我ら軍人は主として武力を形而上(けいじじょう)に求めざるべからず。

 (中略)神明は、(ただ)平素の鍛錬に(つと)め、戦わずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安ずる者より直ちにこれを奪う。古人(いわ)く、勝って(かぶと)()を締めよ、と」

東郷司令長官ら一行を迎えた東京・新橋の凱旋門
東郷司令長官ら一行を迎えた東京・新橋の凱旋門

 東郷は05年12月、海軍軍令部長に就き、09年12月には軍事参議官になります。11年、英国王ジョージ5世(在位1910~36年)の戴冠式に、東伏見宮依仁(よりひと)親王の随員として、乃木希典(まれすけ)・陸軍大将とともに列席し、帰途、アメリカを訪問してタフト大統領やルーズベルト前大統領と会見しました。

イギリスのジョージ5世戴冠式(The New York Public Library蔵)
イギリスのジョージ5世戴冠式(The New York Public Library蔵)

 東郷は日本国内だけでなく、世界的にも、「東洋のネルソン(トラファルガーの海戦で勝利し、戦死したイギリスの提督)」として名が知られ、英雄視されることになりました。

 東郷は13年には元帥になり、26年、日本で最高の勲章である菊花章頸飾(きっかしょうけいしょく)を賜ります。

大艦巨砲主義

 先の東郷の訓示の中の<百発百中の一砲、能く百発一中の敵砲百門に対抗し得る>は、第1次世界大戦後、帝国海軍が休日返上の「月月火水木金金」で猛訓練を実施した際、そのスローガンとして使われました。

 昭和初期、海軍大学校教官を務めていた井上成美(しげよし)(1889~1975年、のちの海軍次官、海軍大将)は、この<百発百中の一砲……>というのは論理的ではない、と批判しました。陸海軍に蔓延(まんえん)する非合理的な「精神主義」を苦々しく思っていたようです。

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1632964 0 「世界と日本」史 2020/11/18 05:20:00 2020/11/20 19:08:47 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/11/20201111-OYT8I50044-T.jpg?type=thumbnail

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