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<第1次世界大戦と日本> 第1回 大正の幕開け

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調査研究本部主任研究員 浅海伸夫

桂太郎、「政党を作りたい」

 1901(明治34)年6月に第1次桂太郎内閣が成立して以降、桂と西園寺公望とが交互に政権を担当する「桂園時代」が長い間続いてきました。

 桂は、11年初めの政友会との「情意投合」により、国会を乗り切り、韓国併合の功により公爵になります。得意の絶頂の桂の傍若無人ぶりに、明治天皇すら「近頃、桂は大天狗(てんぐ)になった」と評したといわれます。(山本四郎著『日本政党史(下)』)

若槻礼次郎
若槻礼次郎

 桂は同年8月、西園寺に政権を渡すと、12年7月6日、シベリア経由でヨーロッパ漫遊の旅に出かけました。桂には、幕僚の後藤新平や、大蔵次官を退官し、貴族院議員になったばかりの若槻(わかつき)礼次郎(れいじろう)(1866~1949年)らが同行しました。

 桂が若槻に語ったところによると、旅行の目的は三つありました。一つはロシアを訪問し、ロシアの政治家と話し合って、日露両国の利害が衝突しないよう国交調整すること、二つにはイギリスで政党組織について調査すること、三つ目はドイツの皇帝からの招待にこたえることでした。桂は若き日、ドイツ公使館付武官などを務め、通算7年半、ドイツに滞在しており、高齢になっても、流暢(りゅうちょう)にドイツ語を話しました。

 桂は、二つ目の政党調査について「自分はかねてから政党を作りたいと思っていた」と明言し、外遊にあたり、明治天皇に次のように語っていました。

 「維新の元勲たちはみな老齢に達し、いつまでも陛下を翼賛し奉るわけにはまいりません。これから先は国民全体が陛下を扶翼(ふよく)して政治をやっていくようにしなければならず、それには、どうしても政党を持たないといけない、とかねがね考えております」

 桂の関心は、イギリスでは「どのようにして政党を維持しているか、政党の楽屋はどんなものか。また政権の授受の具合」などを、政治家と接触して親しく立ち入って見てきたい、というものでした。(若槻礼次郎著『明治・大正・昭和政界秘史――古風庵回顧録』)

 非立憲主義の藩閥政治家と批判されてきた桂が、ここに議会政党樹立の意欲を示していたのです。それは、藩閥政治の担い手の一人だった伊藤博文が、議会に自前の支持基盤を求めた立憲政友会の創設と似ているところがありました。

 ところが、桂一行は、モスクワに到着後、明治天皇の大患・崩御の知らせを受けて外遊を中止し、帰国の途につきます。

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1998220 0 「世界と日本」史 2021/04/21 05:20:00 2021/04/21 05:20:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/04/20210414-OYT8I50027-T.jpg?type=thumbnail

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