読売新聞オンライン

メニュー

ニュース

動画

写真

スポーツ

コラム・連載・解説

発言小町

漫画

教育・受験・就活

調査研究

紙面ビューアー

その他

サービス

読売新聞のメディア

購読のお申し込み

読売新聞オンラインについて

公式SNSアカウント

<第1次世界大戦と日本>第8回 ロシア革命で帝国崩壊

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

調査研究本部主任研究員 浅海伸夫

ストルイピン首相

 「血の日曜日」を発端とするロシアの第1次革命(1905年)のあと、皇帝ニコライ2世は、言論・集会の自由など政治的自由を認め、国会を開設しました。下院にあたる「ドゥーマ」と、勅選議員らからなる上院の「国家評議会」が作られました。

 1906年3月、ドゥーマの議員選挙が実施され、立憲君主制を主張する「立憲民主党」が第1党になります。社会民主党の2大分派であるボルシェヴィキもメンシェヴィキも、選挙をボイコットしました。前者は少数精鋭の革命的前衛党をめざし、後者は西欧的、大衆的な労働者党を志向していました。

 同年4月に 欽定(きんてい) 憲法が制定されます。それによると、皇帝に最高専制権力が属し、皇帝は国会と協力して立法権を行使する、としており、いわば「立憲専制体制」というべきものに移行したのでした。

ストルイピン
ストルイピン

 首相になったストルイピン(1862~1911年)は、名門貴族の出身で、ペテルブルク帝国大学で自然科学を学び、地方の県知事などを務めた人でした。

 彼は、革命運動を厳しく弾圧しつつ、農村の共同体を解体して農民の土地私有を認めるなど、改革に積極的に取り組みました。しかし、土地の私有地化は思うようには進みませんでした。ストルイピンの提出する法案は、なかなか国会を通らず、皇帝の勅令に頼ることが多くなります。無理な手法がたたり、反対勢力に囲まれたストルイピンは11年9月、皇帝の面前でユダヤ人青年によって暗殺されました。

 再び、ロシアに革命の機運が生まれます。ブルジョワジー(資本家階級)の力が強まり、貴族、官僚に代わって「ロシアの第3身分」が国を導かなければならない、という主張が現れました。ブルジョワジーは、西欧文化の最先端と結びつき、自らの力にふさわしい政治的な地位を求めます。(和田春樹著『ロシア』)

怪僧・ラスプーチン

ラスプーチン(右)と皇太子
ラスプーチン(右)と皇太子

 この頃、ロシアの政治に大きな影響を及ぼした人物に怪僧・ラスプーチン(1869~1916年)がいます。ラスプーチンは西シベリア出身の「宗教家」で、教会の 伝手(つて) によって05年、宮廷に姿を現しました。前年、皇后アレクサンドラが出産した待望の皇太子は、血友病にかかっており、ラスプーチンは「不思議な能力」によって、皇太子の治療にあたり、皇后の厚い信頼を勝ち得ます。

残り:6115文字/全文:7337文字
読者会員限定記事です
新規登録ですぐ読む(読売新聞ご購読の方)
無断転載・複製を禁じます
スクラップは会員限定です

使い方
2539940 0 「世界と日本」史 2021/11/24 05:20:00 2021/11/24 16:01:08 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/11/20211116-OYT8I50064-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)