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大戦ブーム
明治の末から大正の初め、日本の財政は日露戦争時の膨大な借金が重くのしかかる一方、経済は不況に苦しんでいました。
ヨーロッパで第1次世界大戦が勃発すると、世界経済の中心だったイギリスをはじめヨーロッパ諸国の経済は大混乱に陥りました。まだ「中進国」だった日本も、影響を免れませんでした。
とくに海上交通路の不安などから貿易は難しくなり、1914(大正3)年の下半期の輸出は、対前期比25~30%に減少し、中でも主要な輸出品である生糸価格は30%、綿糸価格は25%暴落しました。不況は深刻さを増して、銀行では取り付け騒ぎも起きました。(武田晴人著『帝国主義と民本主義』)
ところが、開戦から1年ほど
また、ヨーロッパからの製品輸入が途絶えた東南アジア諸国は、日本に代用品を求め、西欧諸国が競争から退いた中国では、日本に市場独占の好機が訪れました。こうして15年には、輸出超過に転じ、出超額は17年にピークを迎えたあと、大戦中の18年まで出超が続きました。
日本国内では、企業の創設や拡張が相次ぎました。とくに活況を呈したのが、戦争で世界的に船舶不足に陥った海運業や造船業でした。造船では、1887年に払い下げを受け、設備を拡充してきた三菱の長崎造船所は、多数の艦船を受注・建造するようになります。また、製鉄業では、1901年に操業を始めた官営八幡製鉄所が主力でしたが、大戦中は民間製鉄会社がこれを追いかけます。
また、ドイツからの輸入が途絶えた、薬品や染料、肥料などの国産化が進み、日本に化学工業が起こるきっかけになります。
高い利益をあげた各企業の株式は高騰を続け、株式ブームで投機があおられ、バブル経済が発生します。

「成金」たちの時代

第1次大戦ブームによって蓄財した企業家たちを、人々は羨望と非難まじりに「成金」と呼びました。「成金」は、そもそも敵陣に入って金将と同じ働きをする将棋の駒のことで、転じて急に金持ちになることを意味しました。
この言葉は初め、日露戦争後の株取引でもうけた大金持ちに使われましたが、第1次大戦時の「成金」の続出によって一般化しました。
成金は、どの産業に出現したのでしょうか。経済評論家の高橋亀吉(1894~1977年)によりますと、第1次大戦開始以降、まず、薬品と染料の暴騰と投機により、「薬成金」と「染料成金」が登場。これに「鉄成金」と「紙成金」が続いたあと、株の高騰に伴って「株成金」が現れます。その中でも、成金の横綱は、幸運に恵まれた「船成金」と「鉱山成金」でした。また、綿糸や生糸、穀物などブームに沸いた産業では、全国至るところにそれぞれ代表的な「成金」が出来上がりました。
ただ、一口に「成金」と言っても、好機をつかんだ実業家もいれば、バブルの中に沈んだ虚業家もいました。たくさんの逸話が残されていますが、玄関が暗くて靴が見つからないでいると、客の男が100円紙幣を燃やし、「どうだ 明るくなったろう」と言っている風刺画の光景は、当時の成金の生態をよく表していました。