100年前のスペイン・インフル大流行、当時の社会から学べること

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編集委員 丸山淳一

新型コロナウイルスの電子顕微鏡写真(国立感染症研究所提供)
新型コロナウイルスの電子顕微鏡写真(国立感染症研究所提供)

 新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。世界保健機関(WHO)は現状を「パンデミック(世界的大流行)」と位置づけ、アメリカなどが相次いで非常事態を宣言した。日本国内でも小中高校が一斉休校となり、春の選抜高校野球は中止、プロ野球の開幕は延期された。店からマスクや消毒液が消え、流言飛語からトイレットペーパーまで品薄になった。いつまでこんな状況が続くのか、世界中に不安が広がっている。

大阪府で新たに3497人コロナ感染…1週間前から182人減

 パンデミックは過去に何度も起こり、人類はそのたびに危機を乗り越えてきた。日本でもインフルエンザとみられる「咳逆(がいぎゃく)」や「風気(ふうき)」の流行が繰り返し記録に残っている。鎖国していた江戸時代にも海外とほぼ同時期に流行しており、パンデミックと無縁でいることはできなかった。

 なかでも人類史上最悪とされるのが、100年前に全世界を襲った「スペイン・インフルエンザ」のパンデミックだ。当時の世界人口の3割にあたる5億人が感染し、2000万~4500万人が亡くなった。死者は1億人という推計もある。日本でも大正7年~9年(1918年~20年)にかけて大流行し、国民のほぼ2人に1人が感染し、死者は朝鮮や台湾を除いた内地だけで38万5000人に達した。歴史人口学者の速水融(1929~2019)の推計では、統計漏れなどを加味すると、死者は45万3000人に達したという。

 当時はウイルスの存在すら分かっておらず、H1N1型インフルエンザが引き起こしたと分かったのはずっと後のことだった。当時の人々はこの危機をどう乗り越えたのか。

第一次世界大戦とともに広がったスペイン・インフル

 スペイン・インフルエンザの起源には、アメリカ説、フランス説、中国説の3説があり、最も有力なのは、欧州に派遣する新兵を訓練していたアメリカの駐屯地で集団感染が起き、兵士が欧州にウイルスを運んで軍から民間人へと拡大したという説だ。連合国軍側の拠点があり、各国の将兵が出入りしていたフランスの駐屯地を起源とする説や、すでに抗体があった中国人労働者が欧州の軍事施設の建設に送り込まれ、感染を広げたという説もある。

 いずれの説も流行には第一次世界大戦が関係している。塹壕(ざんごう)や駐屯地などの狭い空間で寝食をともにしたことで、主戦場だった欧州各地に次々にクラスター(小規模な感染集団)が発生し、陣地の奪い合いなどを繰り返すうちに敵味方を超えて拡大したのだろう。

 アメリカなど連合国側も、ドイツなど同盟国側も、敵に弱みを見せまいと感染拡大を隠蔽(いんぺい)したことで第2波、第3波の流行が起き、市民にも感染が拡がった。インフルエンザに三つのウイルス起源説にはない「スペイン」の名がついたのは、大戦の中立国で報道管制がなかったスペインでの流行だけが世界中に発信されたからだ。

欧州から半年遅れで日本へ、前後2回の大流行

大正7年10月25日付の読売新聞紙面
大正7年10月25日付の読売新聞紙面

 スペイン・インフルエンザが入る前から日本でも毎年、季節性のインフルエンザが流行しており、この新型インフルエンザが日本にいつ、どこから入ったのかははっきりしない。大正7年(1918年)4月には、当時日本の統治下だった台湾からの巡業から帰った力士3人が死亡し、5月の東京夏場所は休場者が相次いだ。「流行の先触れ」とされ、スぺイン・インフルエンザは当初、「角力(すもう)風邪」とも呼ばれていたが、力士が感染を広げたわけではない。

 各地で患者が目立ち始めたのは、欧州の流行から半年ほど遅れた大正7年初秋からだ。翌年春にいったん流行は収まるが、その年の暮れに再燃する。最初の流行は「前流行」、再燃後は「後流行」と呼ばれ、前流行は感染力が強く、後流行は致死率が高かった。ウイルスは同じH1N1で、二つの流行の間にウイルスが変異した可能性もある。

 兵営がクラスターになったのは欧米と同じで、滋賀県の歩兵連隊や横須賀港に停泊中の軍艦などで集団感染が続発し、連隊を見学に来た小学生などに拡大した。しかし、当時の伝染病予防法(現在は廃止)では医師や病院にインフルエンザの報告義務はなく、実態把握は遅れた。海外での大流行にもかかわらず、水際作戦などはないまま、ウイルスはわずか3週間で日本全国に拡大した。多くの人がこの病気を新型のインフルエンザと知るのは10月末になってからだった。

石炭や綿糸の生産量低下、病院はパンク状態に

 11月になると学校は続々と休校し、遠足や運動会が中止となった。職場でも病欠が相次ぎ、各地で郵便配達の遅延や市電の間引き運転が行われ、電話交換業務に支障が出た。新聞各紙には連日「流行性感冒猖獗(しょうけつ)」(=インフルエンザ猛り狂う)」の見出しが躍ったが、その新聞社内でも感冒は「猖獗を極め」てページ数の削減が相次いだ。特に炭鉱と紡績・製糸工場での感染拡大が目立ち、石炭や綿糸の生産量が低下したという。閉鎖空間で多くの人が働き、粉塵や細かい糸くずが舞う職場環境がクラスターの発生を招いたとみられる。家庭でも一家全員が亡くなったり、子どもの死を悲観して一家心中したりといったやりきれない悲劇が続いた。

 流行は大正8年初めには山間部にも広がった。福島県会津地方の集落では270人の住民全員が感染し、折からの大雪で医師が集落に入れず、食料不足も起きて、生き残ったのは6人だけだったという。病院には患者が殺到し、入院を断る病院が相次いだ。東京や大阪の火葬場は満杯となり、順番待ちの棺桶(かんおけ)が積み上げられた。

 熱冷ましに使う氷の需要が激増し、四国などで氷不足が深刻化した。北関東ではニワトリが大量死し、鶏卵価格が高騰した。今でも鳥インフルエンザが発生するとトリからヒトへの感染が心配されるが、この時はヒトからトリに感染した可能性がある。

防護巡洋艦「矢矧」(『軍艦矢矧南征記念写真帖』国立国会図書館蔵)
防護巡洋艦「矢矧」(『軍艦矢矧南征記念写真帖』国立国会図書館蔵)

 今回のクルーズ船を連想させる事例もあった。大正7年11月にシンガポールに入港した巡洋艦「矢矧(やはぎ)」は、上陸した乗組員が感染し、シンガポール出航後に艦内にインフルエンザが蔓延(まんえん)した。周辺の港にもインフルエンザが流行していて寄港できず、ようやくフィリピン・マニラに入港した時は機関停止寸前の状況だったという。甲板に倒れてうめいている乗組員は病院に搬送されたが、乗員(471人)の1割を超える48人が死亡している。

雑踏避けよ、マスクをかけよ…対策は今と同じ

予防を呼びかける標語の内容は今と同じ(『流行性感冒』より、国立国会図書館蔵)
予防を呼びかける標語の内容は今と同じ(『流行性感冒』より、国立国会図書館蔵)

 この状況に対する政府や自治体の対策は、驚くほど今と似ている。大正8年1月に内務省衛生局が国民向けに出した「流行性感冒予防心得」では、「かぜを引いた人が(せき)やくしゃみをすると眼に見えない細かな泡沫(ほうまつ)が3、4尺(約1メートル)周囲に吹き飛ばされ、それを吸い込むとこの病にかかる」との解説に続いて、「たくさん人の集まっているところに立ち入るな」「人の集まる場所、電車、汽車などの内では必ず呼吸保護器(マスク)をかけ、マスクがなければ鼻、口をハンカチや手ぬぐいなどで覆いなさい」「はやりかぜにかかったと思ったらすぐに寝床に潜り込み医師を呼べ」「治ったと思っても医師の許しがあるまで外に出るな」などと呼びかけている。

 後流行で最も死者が多かった神戸市では、幼稚園と小・中学校の全校休校措置がとられたが、全国一斉休校はとられなかった。集会や力士の巡業、劇の上演などの中止も相次いだが、内地では劇場や映画館の閉鎖はされていない。アメリカの一部都市のように「マスクをしないと電車乗車禁止」という措置もとられず、神戸の厄()け神社に向かう電車は連日、神頼みの老若男女ですし詰めだったという。

 対策にはどこかちぐはぐなところがあるが、これも今と同じ。後手に回った観はあるが、流行は大正9年春以降、自然に収まった。ウイルスが全国津々浦々まで広がって流行が限界を迎え、人々が免疫を獲得すれば、パンデミックは必ず終わるのだ。

マスク着用を呼びかけるポスター(『流行性感冒』より、国立国会図書館蔵)
マスク着用を呼びかけるポスター(『流行性感冒』より、国立国会図書館蔵)
予防注射を呼びかけるポスター。ワクチン注射は効果がなかった(『流行性感冒』より、国立国会図書館蔵)
予防注射を呼びかけるポスター。ワクチン注射は効果がなかった(『流行性感冒』より、国立国会図書館蔵)

感染情報は隠蔽せず、休める職場に働き方改革を

小中高の一斉休校を報じる読売新聞の号外を受け取る人たち(2月27日、東京・JR新橋駅前で)
小中高の一斉休校を報じる読売新聞の号外を受け取る人たち(2月27日、東京・JR新橋駅前で)

 100年前と比べて世界はグローバル化し、ウイルスの伝播(でんぱ)速度は格段に速くなった。一方で医学ははるかに進み、少なくとも日本で山間部の集落が全滅したり、各地で火葬場に棺桶が積み上がったりする事態がにわかに起きるとは考えられない。

 しかし、100年前から学ぶべき教訓はある。まず、感染情報の隠蔽や矮小(わいしょう)化は絶対に避けるべきだ。スペイン・インフルエンザについても、欧州での感染拡大がもっと早く明らかになっていれば、パンデミックは防げたかもしれない。新型コロナウイルスで中国・武漢で情報の隠蔽がなかったかどうかは、しっかり検証されなければならないだろう。

 感染のピークを低く抑え込むには、大人が無理をしないことだ。スペイン・インフルエンザでは鉄道や工場で欠勤者が増加し、割増手当を増やすなどして補っているが、これが感染拡大を長引かせたことは否めない。当時の新聞には、「かかったらすぐに寝床に潜り込め」とある一方で、「はやりかぜ程度で仕事を休む西洋人とは違う」と、働き続ける日本人を美化する記事も散見される。「かぜ程度で」という風潮はいまだに完全には消えていないが、インフルエンザも新型コロナ肺炎もかぜではない。かかったら休む意識改革と、かかったら休めるようにする職場改革を進めるべきだ。兵営でクラスターが発生した教訓を踏まえれば、自衛隊や警察、消防など危機管理要員の感染予防も非常に重要だ。

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1114713 0 今につながる日本史 2020/03/18 10:00:00 2021/05/25 13:07:02 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/03/20200316-OYT8I50043-T.jpg?type=thumbnail

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