二つのハードル緩和「令和の築城」ブームは来るか
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「幻」の復元は、やはり難しかった。織田信長(1534~82)が築いた安土城(滋賀県近江八幡市)の天主(安土城は「天守」ではなく「天主」と表記)復元を検討してきた滋賀県の三日月大造知事は、11月2日に開いた「『幻の安土城』復元プロジェクト」の検討委員会の後に記者会見し、天主の“再建”を断念する方針を表明した。VR(バーチャルリアリティー)などのデジタル技術を使った「仮想再現」案を軸に、年内をめどに最終案をまとめるという。

県は、2026年の安土築城450年に向けて「復元プロジェクト」を立ち上げ、再建案を検討していた。だが、安土城は完成からわずか3年後に焼失し、当時の史料がほとんど残っておらず、「復元」はそもそも難しい。別の場所に建てる「再現」は、三重県伊勢市のテーマパークですでに実現している。デジタル技術による「仮想再現」も、すでに地元の近江八幡市が実施済み(→こちら)だが、滋賀県知事のアドバイザーも務める静岡大名誉教授の小和田哲男さんは、「史料がないまま建設すると、まがい物になる危険性があり、避けたいと思っていた。忠実な復元も諦めてはいないが、当面はデジタル化が最善の策だ」と話す。
復元が難しいことはわかっていながら、滋賀県が「復元プロジェクト」を立ち上げた背景には、建築基準法と文化庁の復元基準という二つのハードルの緩和がある。この基準変更は、全国各地の「お城」の今後に影響する可能性がある。

再建天守、史実に忠実な度合いで五つに分類
その話に入る前に、全国の城の天守にはどんなものがあるのかを確認しておく。天守相当の
「復元天守」は、内部まで木造で史実に忠実に復元されたもので、白河小峰城や大洲城など、平成になって再建されたものばかりだ。これに対して外観だけが史実に忠実なものを「外観復元天守」と呼ぶ。名古屋城、広島城、岡山城、若松城、熊本城(大天守、小天守)など、戦時中の空襲などで失われ、昭和30年代後半に鉄筋コンクリート造りで再建された天守が多い。「復興天守」は、天守の位置や規模はおおむね史実通りだが、外観は史実と異なるもの。現存するものでは昭和6年(1931年)に建てられた大坂城天守が最も古いが、岐阜城天守は初代が失火で焼失し、昭和31年(1956年)に「再々建」された2代目だ。
「模擬天守」はさらに史実から離れ、天守があったかどうかも不明確だったり、城とは別の場所に建てられたりしたもので、最も古い洲本城天守は、昭和3年(1928年)に昭和天皇(1901~89)の即位を記念して展望台として建てられた。昨年に一般公開されたばかりの尼崎城も本来の天守があった場所から300メートル離れた公園地内に建てられている。熱海城のように史実の裏付けがないものは、「天守閣風建造物」に区分される。再建とは呼べないものが大半だが、伊勢市のテーマパークの安土城のように、専門家の考証を経て建てられたものもある。
昭和以降の天守再建は、まず高度経済成長期に地域のシンボルを再建するために工期が短く費用が安い外観復元天守が再建されるブームが起き、それを受けてバブル期までは復興天守、模擬天守が多く造られ、天守を再建するだけでは観光客が呼べなくなった平成以降は「本物志向」の木造復元天守が主流になったことがわかる。流れを決めたのは経済的な要素だけではない。木造建造物に関する建築基準法と、史跡に建造物を再建する際の文化庁の復元基準が大きく影響している。