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古いようで新しい…官民のせめぎ合いが生んだ「はんこ文化」

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調査研究本部 丸山淳一

行政手続きの認め印廃止にめどをつけた河野行革相
行政手続きの認め印廃止にめどをつけた河野行革相

 菅内閣が進める行政のデジタル化推進の一環として、河野行政改革担当大臣が行政手続きでの押印廃止を進めている。行政手続きで押印が必要な約1万5000種類のうち、印鑑登録などが必要な83の手続き以外は押印が廃止され、「認め印」の押印はすべて廃止される見通しだという。

 はんこ業界などには反発や不安の声が出ているが、河野大臣はツイッターで、自らの蔵書印や落款(らっかん)印の写真とともに「行政の手続きにハンコはやめようと言ってるのであって、ハンコ文化は好きです」とツイートし、はんこ文化の振興に積極的に協力していく考えを示している。日本に独自のはんこ文化が根付いた歴史は意外に浅く、普及の裏には政治の力だけでなく、民間の支持で政府が廃止を断念するなど、官民のせめぎ合いの歴史があった。

国風文化で一度は衰退

国宝「漢委奴国王印」
国宝「漢委奴国王印」

 はんこの起源は6000年ほど前、紀元前のメソポタミア文明にさかのぼるとされ、日本には中国から伝わった。『日本書紀』には崇神(すじん)天皇が「四道将軍を置き之に印綬(いんじゅ)を授く」という記録があり、日本最古の印は約2000年前の57年に後漢の光武帝から下賜され、福岡県の志賀島で江戸時代に見つかった「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印とされている。

 公文書にはんこが押されるようになるのは、大宝元年(701年)の大宝律令で印章制度が定められてからで、「官印(公印)」として天皇御璽(ぎょじ)や太政官印などが銅で鋳造された。官印が押された公文書は、現在も正倉院に数多く保管されている。『続日本紀(しょくにほんぎ)』によると、個人印は天平宝字2年(758年)に藤原仲麻呂(706~764)に初めて許されている。

 ちなみに、仲麻呂は正倉院への宝物収納を名目に天皇御璽を持ち出したり、反仲麻呂派と太政官印の争奪戦を行ったりしている。官職を唐風に改め、自らも()(みの)(おし)(かつ)と改姓改名するなど、唐の制度に傾倒した仲麻呂が官印を重視したのは、印章制度が律令制度とともに、古代中国の制度をコピーして導入されたことと無縁ではないだろう。だとすれば、このころのはんこはまだ、日本独自の文化とはいえない。

 律令制度の衰退に伴って官印は使われなくなり、文書の文字が楷書から草書に代わってひらがなが使われるようになった平安後期以降、公文書には花押を書く(「書判」という)のが普通になっていく。国風文化にあわせて広がったのははんこではなく、署名(書判)だったわけだ。

戦国大名が思い思いの「家印」デザイン

信長の天下布武印と麒麟の「麟」の字をかたどった花押
信長の天下布武印と麒麟の「麟」の字をかたどった花押

 だが、公印から消えたはんこは、再び中国の影響を受けて息を吹き返す。鎌倉時代に大陸から来日した禅僧が宋・元の文人印をもたらし、禅宗の普及に伴って僧侶が「私印」として書画の落款や蔵書印などにはんこを使うようになった。室町時代になると武士も私印を使うようになり、戦国時代には武将の印が押された「印判状」が出された。花押も並行して使われたが、領国内への布告など大量に出す文書に花押を書くのは面倒だったという事情がある。あくまで大名の「家印」で官印ではないから、織田信長(1534~82)の「天下布武」印のように思い思いのデザインが採用され、名前や役職は書かれなくなった。

江戸期の「家」制度で庶民にも広がる

武蔵・蕨宿の五人組帳御請印帳(安政2年のもの。野村兼太郎『五人組帳の研究』国立国会図書館蔵)
武蔵・蕨宿の五人組帳御請印帳(安政2年のもの。野村兼太郎『五人組帳の研究』国立国会図書館蔵)

 江戸時代になるとはんこは庶民の間にも広がるが、普及の理由は江戸幕府が「家」を単位に民衆を管理したためだった。商工業の発展で売買や貸借の契約文書を交わすことが増え、「五人組制度」による組織化が進められ、キリスト教禁止令を徹底するための宗門改(しゅうもんあらため)も行われた。幕府は適正な商取引や年貢の納入、キリスト教を信じないことを誓約させて証しを取ろうとしたが、文字が書けない人は署名ができない。誓約の証しとして、署名の代わりにはんこが使われた。誓約は家単位で行われ、宗門改帳には家族全員が同じ印を押したという。

 江戸中期以降ははんこがなければ契約不履行の訴えは受理されず、はんこの偽造は死罪とされた。農民や町人のはんこは名主に、名主のはんこは代官や町年寄への届け出が義務付けられ、捺印(なついん)された印鑑帳(請判帳、五人組帳ともいう)は名主などが保管した。この仕組みは明治以降、名主から市町村に引き継がれ、現在の「実印」と「印鑑登録制度」のもとになった。

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1686312 0 今につながる日本史 2020/12/09 10:00:00 2021/01/01 10:53:18 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/12/20201207-OYT8I50064-T.jpg?type=thumbnail

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