読売新聞オンライン

メニュー

ニュース

動画

写真

スポーツ

コラム・連載・解説

発言小町

漫画

教育・受験・就活

調査研究

紙面ビューアー

その他

サービス

読売新聞のメディア

購読のお申し込み

読売新聞オンラインについて

公式SNSアカウント

あらゆる願望、幻想をのみ込んできた…天下取りの名刀「義元左文字」の底知れない魅力

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

調査研究本部 丸山淳一

 刀剣ブームが続いている。熊本のテレビ局に赴任していた時、阿蘇神社に伝わる幻の宝刀「 蛍丸(ほたるまる) 」の復元プロジェクトを取材して、そのすごい人気に驚いた。蛍丸の不思議な物語については過去に取り上げた( こちら )が、オンラインゲーム『刀剣乱舞』に登場する刀を擬人化したキャラクターのファンになり、刀そのものにも興味を持つ若者が一気に増えた。

重要文化財 刀 金象嵌銘 永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀/織田尾張守信長(名物義元左文字)南北朝時代14世紀 京都・建勲神社所蔵
重要文化財 刀 金象嵌銘 永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀/織田尾張守信長(名物義元左文字)南北朝時代14世紀 京都・建勲神社所蔵

 最近は『鬼滅の刃』ブームも加わって、鬼( (しゅ)(てん)(どう)() )の首を () ねた刀という伝説がある「 (どう)()切安綱(ぎりやすつな) 」なども注目されている。刀剣ファンには、それぞれが好きな「推し」の刀があるようだ。

三英傑が愛した「天下取りの刀」

 刀の審美眼はない筆者にも、「推し」の刀はある。「 義元左文字(よしもとさもんじ) 」だ。駿河(静岡県)守護で「海道一の弓取り」と呼ばれた武将、今川義元(1519~60)が所持したのが名前の由来。永禄3年(1560年)の桶狭間の合戦で義元を討ち取った織田信長(1534~82)が奪い取り、天正10年(1582年)の本能寺の変の後に豊臣秀吉(1537~98)の手にわたり、関ヶ原の合戦の翌年、慶長6年(1601年)に徳川家康(1543~1616)のものとなる。3人の天下人が所有した華麗な来歴から、「天下取りの刀」の異名を持つすごい刀だ。

 作者の左文字は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて筑前(福岡県)・博多で活躍した刀匠だ。相模(神奈川県)で名匠の正宗(生没年不明)から技を学び、筑前に戻る際には正宗が別れを惜しんで服の左袖を引きちぎって渡したという伝説がある。それ以来、銘に「左」の字を切り、弟子の刀匠集団は「左文字派」と呼ばれたという。

 刀がつくられたのは信長が所有する200年ほど前とみられ、義元の前にも所有者がいたはずだ。これだけ有名な刀なのだから、さぞ華麗な来歴があるのだろうと思いきや、これがよくわからない。『名物録』(第1類)には、刀の長さ(2尺2寸1分半=約69センチ)と、信長が桶狭間で義元から奪い、刀に自らの名前を彫らせたことしか書いていない。それより後に書かれた『名物録』(第2類)に、ようやく以下の記載がある。

 義元
 三好左文字
 宗三
 磨上 長弐尺弐寸壱分半 無代
 三好宗三所持武田信虎へ遣ス義元へ伝、信長公之御手ニ入彫付表中心樋之内ニ永禄三年五月十九日平ニ義元討取之刻彼所持之刀裏平ニ織田尾張守信長ト有之信長公御所持之時失ル、後ニ秀頼公之御物ニ成ル 家康公江被進、表裏樋有之

 この記述通りなら、義元左文字は「三好左文字」「宗三左文字」の別名が示す通り、もともと三好政長(宗三、1508~49)が所持し、政長から 甲斐(かい) (山梨県)の守護、武田信虎(1494~1574)に贈られ、信虎が義元に贈り、信長が義元から奪い、秀吉、家康へと渡ったことになる。だが、いつごろ、どういう理由で刀が贈られたのかは記されていない。

1

2

3

無断転載・複製を禁じます
スクラップは会員限定です

使い方
2439707 0 今につながる日本史 2021/10/13 10:00:00 2021/10/13 12:53:49 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/10/20211011-OYT8I50050-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)