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戦時下の検閲包囲網、それでもジャズの灯は残った

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編集委員 西田浩

 1930年代、ジャズの隆盛に歩調を合わせるかのように、ジャズ、ブルース、タンゴ、シャンソンなどの要素を取り入れた和製洋楽が花開き、「ダイナ」「別れのブルース」など多くのヒットを生み出した。一方で満州事変(31年)、日中戦争(37年)、太平洋戦争(41年)と戦火の拡大に伴い、音楽も統制の対象となり、国策へと利用されることになった。

 まず、34年に出版法改正でレコード検閲が開始された。戦時下の音楽の実情を研究している戸ノ下達也・洋楽文化史研究会会長は「本来、安寧秩序妨害や風俗壊乱などを行う出版物を取り締まるための法律だったが、レコード検閲の実態はこの範囲を超えるものだった」と指摘する。

レコード店の店頭で流すことを禁じた1000枚余の米英音楽レコードのリスト発表を伝えた1943年1月14日の読売新聞
レコード店の店頭で流すことを禁じた1000枚余の米英音楽レコードのリスト発表を伝えた1943年1月14日の読売新聞

 その代表的な事例が、36年に出た渡辺はま子の「忘れちゃいやよ」への措置だった。発売前の検閲を通ったにもかかわらず、発売頒布(はんぷ)禁止処分となったのだ。41年に内務省の検閲官・小川近五郎が「流行歌と世相」という著書で、「忘れちゃいやよ」を取り締まった時のことを書いている。この曲を「稀有(けう)の曲者」と表現した上で、「ねぇ、忘れちゃいやよ、忘れないでね」という箇所の歌い方について、「『ねぇ』で甘えてみせて『いやーんョ』と鼻に抜けた発声で、しなだれかかってエロを満喫させようとする手法は、感心するほど巧者なものであった」と評している。要は、歌い方が退廃的だからダメだというのだ。行政の恣意(しい)的な解釈で法律が運用されていたことを如実に物語る事例と言えるだろう。

米国音楽の象徴、押し入れでこっそりと

「忘れちゃいやよ」が発売頒布禁止処分となった渡辺はま子
「忘れちゃいやよ」が発売頒布禁止処分となった渡辺はま子

 一方で、行政やメディアの主導で、詞や曲を公募もしくは著名な作詞・作曲家に委嘱する形で、時局を反映した“公式流行歌”とでもいうべき国民歌が盛んに創作されるようになった。37年には「露営の歌」「海ゆかば」「愛国行進曲」など、戦時期を代表する楽曲が立て続けに発表された。戦後、これらの曲は『軍歌』と呼ばれるようになった。

 ちなみに、「愛国行進曲」は主要レコード会社がこぞって吹き込んでいるが、東海林太郎の歌で発売予定だったレコードが「歌い振りが、従来の流行歌調から一歩も脱却せず卑俗極まる」という理由で不許可になった。

 そして、40年10月、都内の全ダンスホールが閉鎖された。この措置はその後、全国に波及することになった。ダンスホールの伴奏はもっぱらジャズメンの仕事。レコーディングや放送の仕事に進出していたとはいえ、ジャズ界にとっては大きな痛手だったと言えよう。

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1793977 0 日本ジャズの断面 2021/01/25 10:23:00 2021/01/25 10:23:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/11/20201120-OYT8I50019-T.jpg?type=thumbnail

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