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二村定一が日本流ジャズを確立、エノケンも続く…花開く和製洋楽<上>

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編集委員 西田浩

 日本でのジャズ隆盛と不可分なのが、流行歌の進展と言えよう。明治期の自由民権運動で、社会批判や政治参加の意思などを旋律に乗せた「演歌(演説歌)」が路傍からわき起こった。ちなみに言葉は同じだが、今の演歌とは何のつながりもないと考えてほしい。大正期になると政治性は薄れ、代わって世相や大衆の心情を描いた歌を演歌師と呼ばれる辻音楽家が街頭で披露し、それが浸透していくというシステムが出来上がっていく。また、その頃、劇場が歌の震源地となっていく。1914年の劇団芸術座「復活」の劇中歌「カチューシャの唄」や17年に帝劇で上演された「ドッチャダンネ」で披露された「コロッケの唄」などが代表格だ。

レコードとラジオが登場、流行歌が全国に広がる

 こういった路上や劇場発のはやり歌を爆発的に広げるツールとなったのが、09年に国産品の発売が始まったレコード、そして25年に放送が開始されたラジオという二つのメディアだった。「カチューシャの唄」は「復活」に出演していた女優、松井須磨子の歌唱でレコード化され、一気に全国区に。「日本初のヒット曲」と形容されることもある。

 当初、評判になった演歌や劇中歌を発売していたレコード会社だったが、昭和期に入ると、才能ある作曲家や作詞家、歌手と契約を結び、自ら主導する形でヒット曲作りに乗り出した。ここに、今につながるレコードビジネスのシステムが生まれることになる。「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」の音階の4番目の「ファ」と7番目の「シ」を除いた5音を基調とする「ヨナ抜き音階」が多用され、その後の歌謡曲を特徴づける情緒が確立されていった。

米国最先端のサウンド「ジャズ」、日本の音楽界に根付く

「アラビアの唄」を大ヒットさせた二村定一
「アラビアの唄」を大ヒットさせた二村定一

 話が脇道にそれてしまったが、20年頃に日本に上陸したジャズは、「アメリカの最先端のサウンド」として、成長の途についた音楽ビジネスに取り込まれていく。その先駆となったのが、二村定一だった。20年代前半から浅草オペラのテナー歌手として活躍する一方、ジャズにも傾倒し、戦前の日本ジャズ界の中心人物、井田一郎(バイオリン)のバンドにも参加している。そして、28年、米国の名作曲家フレッド・フィッシャーの作品を日本語で歌った「アラビアの唄」が空前のヒットを記録した。

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1730381 0 日本ジャズの断面 2020/12/28 10:00:00 2020/12/28 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/12/20201210-OYT8I50047-T.jpg?type=thumbnail

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