旧日本軍の軍楽隊出身者が存在感…進駐軍とともに<下>
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1945年8月の敗戦に伴い、進駐軍が全国各地に駐留し、今も残る米軍基地のほかに、様々な施設を接収して利用した。連合国軍総司令部(GHQ)が置かれた第一生命館など丸の内のオフィスビル群、甲子園球場や神宮球場、日比谷公会堂などが有名だが、各地の一流ホテルも、進駐軍専用となった。ほかにもいわゆる米軍キャンプと呼ばれる駐屯地、その近くで営まれた米兵クラブ。そこでは、兵士やその家族のために、夜な夜な様々な余興が繰り広げられた。音楽はその中核にあった。
夜な夜な演奏会、米軍需要が日本ジャズ再建の礎に

進駐軍のために演奏する楽団の需要は多く、都市部ではアマチュア奏者をその日の進駐軍キャンプの娯楽用にかき集め、急造のバンドに仕立て上げる手配師のような人もいた。今の東京駅丸の内北口や新宿駅南口などは、仕事を求める音楽家と手配師の集合場所だったという。戦後の混乱期で、まだ食べるものにも事欠く時代に、とりあえず楽器ができれば、高額の報酬にありつける。米国ではジャズの全盛期。仕事にありついた奏者は、ジャズを習得する。そういった環境が、日本のジャズの礎を築いていく。
南里文雄(トランペット)、渡辺弘、松本伸、芦田満(いずれもサックス)、ディック・ミネ(ボーカル)ら、戦前組が戦時中にほぼ崩壊していた日本ジャズ界の再建の核となった。そこに、戦後から本格的に活動を始めた若手のジョージ川口(ドラムス)、松本英彦、宮沢昭(ともにサックス)、渡辺晋(ベース)らが加わる。そして皮肉なことに、この進駐軍ジャズの時代に存在感を発揮したのが、旧日本軍の軍楽隊の面々だった。シャープス&フラッツの原信夫、ニューハードの宮間利之(ともにサックス)といった日本を代表するビッグバンドリーダーに加え、サックスの尾田悟や海老原啓一郎、トランペットの松本文男ら実力者を輩出している。