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日本に空前のジャズブーム、黄金の50年代

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編集委員 西田浩

 1950年に始まった朝鮮戦争は、日本に特需景気をもたらした。都市部ではナイトクラブが続々とオープン、進駐軍回りで腕を磨いたジャズ奏者たちが出演し、客たちを踊らせる。東京・銀座の「黒バラ」「モンテカルロ」「クラブチェリー」などがその代表格として名をはせた。さらに、ラジオやレコードの世界でもジャズは欠かせない存在となり、急速に日本人の間に浸透していった。

 原信夫とシャープス&フラッツ、渡辺晋とシックス・ジョーズ、与田輝雄とシックス・レモンズなど名バンドが相次いで結成され、人気を上げる。そして前回も書いたが、52年に米国の大物ドラマー、ジーン・クルーパ率いるトリオが米軍の慰問ではなく、日本の聴衆のために来日したことが火付け役となって日本に空前のジャズブームが訪れる。

球場を満員にしたスーパーグループ「ビッグ・フォー」

 そして翌53年に結成されたジョージ川口率いるビッグ・フォーが大旋風を巻き起こすことになった。都内のクラブ経営者が、すでに日本のトップドラマーの評価を勝ち得ていた川口に「日本人若手によるスーパーバンドを組んでウチの専属になってほしい」ともちかけたのを機に、川口が人選し、同じレイモンド・コンデとゲイ・セプテットに所属していた小野満(ベース)、シックス・ジョーズの松本英彦(サックス)と中村八大(ピアノ)という人気バンドのスタープレーヤーに白羽の矢を立てたのだ。同年5月に開かれた日本劇場8日間の旗揚げ公演を手始めに大劇場を満員にし、地方からも引っ張りだことなった。川口の自伝「人生は4ビート!」(78年文化出版局刊)によると、最も稼いだのは同年秋の「北海道10日間公演で400万円」だったという。それも、余りに多忙だったため、遠方の公演は断わるつもりで法外な出演料をふっかけたところ、現地の興行主がそれをのみ、ジェラルミンケースに札束を詰めて参上し、前渡ししてくれたのだという。ラーメン1杯10~15円の時代だから、彼らの人気がいかにすさまじかったかがわかるだろう。

 同書で川口は人気の理由について、以下のように書いている。少し長くなるが、そのまま引用しよう。

 「当時のビッグ・フォーの溌剌とした若いエネルギー、自信にみちた颯爽(さっそう)たる姿、それが若い人たちの共感を呼び、心をとらえたのではないかと思う。なにしろ、戦後のこの時期は、終戦直後の暗い時代から脱け出して、若者たちは自由と平和を謳歌(おうか)しはじめていたときだ。彼らは、青春時代のエネルギーを『何か』に向かって爆発させたくて、うずうずしていたと思う」

レコーディングに臨むビッグ・フォー。奥がジョージ川口、前列右から2人目が渡辺貞夫(1950年代撮影)
レコーディングに臨むビッグ・フォー。奥がジョージ川口、前列右から2人目が渡辺貞夫(1950年代撮影)

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1922778 0 日本ジャズの断面 2021/03/22 10:00:00 2021/03/22 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/02/20210217-OYT8I50025-T.jpg?type=thumbnail

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