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日本ジャズ史、最大の出来事…秋吉敏子と渡辺貞夫「運命の出会い」<上>

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編集委員 西田浩

 日本ジャズの歴史の最大の出来事は?と問われたら、1953年の秋吉敏子(ピアノ)と渡辺貞夫(サックス)の出会いと答えるだろう。ともに世界的に成功し高く評価されている巨匠。一緒に活動したのは2年余とさほど長くはなかったが、これがなければ、後の日本ジャズ界の隆盛や多くの日本人奏者の海外進出はなかっただろうと推測される。少なくとも大きく遅滞したことだろう。二人が果たした役割は、今後のこの連載の随所で触れることになるが、今回は出会いまでのそれぞれの歩みを紹介する。

思い立ったらすぐ行動、軍国少女がピアニストに…秋吉

秋吉敏子
秋吉敏子

 秋吉は1929年12月12日、満州(現中国東北部)遼陽に生まれ、7歳でピアノを習い始め、42年、大連の弥生高等女学校に進んだが、太平洋戦争の戦局悪化の中、3年生の時に陸軍の従軍看護師に志願し、興城にあった陸軍病院で研修を受けることになった。「日本が戦っているのだから、私もお国の役に立たなくてはならないと素朴に思ってしまう軍国少女でした」と当時を振り返る。配属を間近に控えた時に終戦を迎えた。

 46年に別府に引き揚げ、そこでダンスホールのピアニスト募集のはり紙を見つけ、その場で応募した。「当時、家にピアノがなく、純粋にピアノを弾きたかったのが動機でした」。当初、父は反対したが、秋吉の稼ぎが家計を支えることになった。演奏活動の中で巡り合ったジャズにのめり込み、より本格的にジャズを追求できる舞台を求め、17歳で親元を離れ福岡に移り、18歳で上京したのだった。

 森亨ビッグバンド、東京ジャイブ、ブルーコーツ、ゲイスターズ、シックス・レモンズといったバンドを渡り歩き、次第に名前を知られる存在となっていった。進駐軍回りのミュージシャンの報酬が良かったこともあり、生活は安定し、上京の翌年には自室にピアノを購入した。「うれしくて、うれしくて。毎朝、間借りしていた家の方が皆起きたのを見計らって、ピアノを弾き始めていました」と話す。連載の7回目でも紹介したが、米軍慰問のために来日したジェフ・クラークソンを自宅まで引っ張って行きピアノを弾いてもらったという一件にも象徴される、思い立ったらすぐ行動に移すという姿勢は秋吉の人生を切り開いていく。

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1985191 0 日本ジャズの断面 2021/04/15 10:00:00 2021/04/15 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/03/20210310-OYT8I50003-T.jpg?type=thumbnail

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