読売新聞オンライン

メニュー

ニュース

動画

写真

スポーツ

コラム・連載・解説

発言小町

漫画

教育・受験・就活

調査研究

紙面ビューアー

その他

サービス

読売新聞のメディア

購読のお申し込み

読売新聞オンラインについて

公式SNSアカウント

ファンキージャズと白木秀雄…相乗効果で生まれた熱狂

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

編集委員 西田浩

 戦後の進駐軍ジャズの時代における、即興演奏主体の新しいジャズの様式、ビバップの台頭はこれまで書いてきた。その潮流は、守安祥太郎という早世の天才を生み、秋吉敏子や渡辺貞夫という後に世界に飛躍する巨人をはぐくんだ。日本のジャズミュージシャンに多大な影響を与え、日本ジャズの発展を後押ししたのは間違いない。

豪快さとアドリブの妙味…黄金期はモダンスイングに支持

 では、ビバップは1950年代の戦後ジャズ黄金期に熱烈に支持されていたかというと、それは疑問なのだ。この時期の大スター、ジョージ川口(ドラムス)率いるビッグ・フォーは、編曲とアンサンブルを重視したビバップ以前の様式であるスイングと、ビバップの折衷的なスタイルで演奏していた。モダンスイングと呼ばれることが多いが、ジャズ黄金期を席巻したのは、まさにこのスタイルだった。豪快で乗りが良く、アドリブの妙味も楽しめるこのモダンスイングは親しみやすく、ダンス音楽にも適していた。都内のクラブを主戦場にしていた当時の人気ジャズバンドがモダンスイングを基調にしていたのは当然のことと言えた。一方で複雑な和声と自由度の高い即興演奏の連続で構築されたビバップは、確かに芸術性は高いが、難解でもあった。愛好家たちには支持されたが、大衆に浸透したとは言い難かった。

 この状況を、シャープス&フラッツを率いていた原信夫は2017年に取材した時にこう回顧している。

 「個人的にはビバップを追求したい気持ちがありましたが、日本人が好む音楽という意味では、スイングの方がいい。秋吉さんは徹底的にビバップを追求していましたが、僕らは聴衆を意識して、スイングとビバップの中間を目指しました」

映画「嵐を呼ぶ男」のアテレコも…若きドラマー、時代の寵児に

1950年代後半から60年代にかけて大活躍した白木秀雄
1950年代後半から60年代にかけて大活躍した白木秀雄

 ジャズ黄金期が幕を閉じた頃、 彗星(すいせい) のように登場した若きスターが白木秀雄(ドラムス)だった。東京芸大打楽器科在学中にプロ活動を開始、ビッグ・フォーのツアーにも同行し、コンサートの山場で川口とのドラム合戦を繰り広げ、名を上げた。57年の映画「嵐を呼ぶ男」では主演・石原裕次郎の有名なドラムの演奏シーンのアテレコ(実際の演奏)を担当、さらに主題歌では伴奏も行っている。そして、58年には自らの名を冠した初のリーダー作を出し、そこで当時のジャズの新しい潮流であるファンキージャズにいち早く取り組み、一躍脚光を浴びたのだ。翌年には女優の水谷良重(現・八重子)と結婚、その端正な容姿も手伝って、時代の 寵児(ちょうじ) としてマスコミをにぎわせた。

 話は少し脱線するが、アドリブ偏重のビバップの反動から、50年代後半、米国ではメロディアスで洗練されたハードバップというスタイルが生まれた。ファンキージャズはその一類型で、ブルースやゴスペルなどの要素を取り入れた乗りのいいサウンドを特徴とした。それまで日本のジャズの主流だったモダンスイングとの親和性もあり、さらに、白木というスターと結びついたことで、ファンキージャズは日本でブームを呼んだのだ。

 戦前から日本のジャズに触れてきた評論家の瀬川昌久は、「大きな流れで言えば、日本のジャズはビバップを素通りして、モダンスイングからいきなりファンキージャズに移行した印象すら受ける」と語っている。

残り:1350文字/全文:2850文字
読者会員限定記事です
新規登録ですぐ読む(読売新聞ご購読の方)
無断転載・複製を禁じます
スクラップは会員限定です

使い方
2368085 0 日本ジャズの断面 2021/09/16 10:00:00 2021/09/16 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/08/20210817-OYT8I50013-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)