Vol.26 ジャズに縛られず、自分の音楽を追求した増尾好秋…フュージョン・ブーム<中>

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編集委員 西田浩

NYの都会的な雰囲気漂わせた日野皓正「シティ・コネクション」

 世界的にフュージョン旋風が吹き荒れる中、日本でも多くのジャズ奏者がこの路線を歩み、1977年の渡辺貞夫(サックス)のアルバム「マイ・ディア・ライフ」を機に、一気に一大ブームとなっていった。その時期に渡辺と並ぶ立役者となったのが、トランペット奏者の日野 (てる)(まさ) だった。75年に米国に拠点を移したのは以前紹介した通りだが、フュージョン全盛の現地で、名ギタリスト、ラリー・コリエル(ギター)率いるイレブンス・ハウスに加わるなど、最先端のサウンドの洗礼を受けることになる。

日野皓正はフュージョン路線でも渡辺貞夫と並ぶ人気を勝ち得た
日野皓正はフュージョン路線でも渡辺貞夫と並ぶ人気を勝ち得た

 その成果が花開いたのが、79年に出したリーダー作「シティ・コネクション」だった。渡辺の代表作「カリフォルニア・シャワー」が米西海岸のカラッと乾いたサウンドを基調としたのに対し、この作品は日野が住むニューヨークの都会的な雰囲気を漂わせていた。例えるなら、前者は快晴の昼下がり、後者はネオンきらめく夜のイメージといったところか。この作品について日野は「ハリー・ウィテカーとレオン・ペンダーヴィスという親しくしていたアレンジャーと組んで、当時のニューヨークの最先端のサウンドを取り入れた。自作曲はバラード2曲だけで、あとは2人に任せたのが吉と出たのかもしれない」と語っている。

 表題曲が洋酒メーカーのCMに起用されたこともあり、アルバムは大ヒット。日本を離れていた日野が、またもやスターとしての存在感を発揮することとなった。

中村照夫はファンクの要素、川崎燎はロック色…ジャンルの枠超えた個性派たち

本田竹広率いるネイティヴ・サンの初アルバム「ネイティヴ・サン」(1979年)もヒットした
本田竹広率いるネイティヴ・サンの初アルバム「ネイティヴ・サン」(1979年)もヒットした

 60年代からニューヨークに住む中村照夫(ベース)率いるライジングサンは、ファンクの要素がにじむ77年の「マンハッタン・スペシャル」を米国でヒットさせた。菊地 (まさ)(ぶみ) (キーボード)は70年のアルバム「POO―SUN」を手始めにエレクトリックサウンドを打ち出し、渡米後の80年に出した「ススト」が高く評価されている。73年に米国に渡った川崎燎は、75年の「プリズム」をはじめロック色の強いギターで人気を得ている。70年代前半に渡辺のバンドで活躍した本田竹広(ピアノ)らが78年に結成したフュージョンバンド、ネイティヴ・サンも脚光を浴びた。

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2936789 0 日本ジャズの断面 2022/04/21 10:00:00 2022/04/21 16:31:12 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/03/20220309-OYT8I50043-T.jpg?type=thumbnail

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