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「マンガのくに」も今月が最終回。マンガの未来に新しい可能性を開く黄金のような“とっておき作品”を最後に紹介します。「誰も見たことのない面白さ」を追求する作家の意欲には限界がありません。(編集委員 石田汗太)

明治の北海道。日露戦争の帰還兵・杉元佐一はアイヌの埋蔵金のことを知る。金塊が埋められた場所は網走監獄から脱走した囚人24人の体の入れ墨に隠されているという。アイヌ少女アシㇼパと出会った杉元は彼女と共に、金塊を狙う陸軍北海道第七師団、箱館戦争を生き延びたという設定の元新撰組副長・土方歳三らとの、命がけの一獲千金レースに身を投じる。
野田サトルさんが「週刊ヤングジャンプ」で2014年から連載中の『ゴールデンカムイ』(既刊20巻、集英社)は、マンガの新しい地平を感じさせる傑作だ。これだけジャンルが細分化した時代に、冒険、歴史、ギャグ、グルメ等をごった煮にした「分類不能のエンターテインメント」を追求する志は特筆される。
「北海道の屯田兵で、日露戦争では203高地で戦った曽祖父のことを描きたいと思った」と野田さんは語る。北海道の猟師を描いた熊谷達也さんの小説『銀狼王』(集英社文庫)もヒントにし、「そうなると、きちんとアイヌを描かないわけにはいかない」と構想が広がった。その結果生まれたアシㇼパは、マンガ史に残るヒロインになることは間違いない。
■ヒグマを倒す少女
<わたしは新しい時代のアイヌの女なんだ!>
このセリフがアシㇼパのキャラクターを決定づけた。13歳くらいに見えるが、弓でヒグマをも倒す狩りの名手。年下の彼女を杉元が「アシㇼパさん」と呼ぶのは、山の師匠に対する敬意からだ。
アイヌの教えでは、人間をとりまいているものを「カムイ」と呼び、人間とカムイの良き関係を重視する。「ただの迷信と片付けたくない。カムイという概念には生きるための合理的意味が含まれていると思う。それを理解し、伝えていく聡明さをアシㇼパに与えたかった」と野田さん。
連載前は、アイヌに関する知識はあまりなかった。「かわいそうなアイヌは描かなくていい、強いアイヌを描いてほしい」と取材中にアイヌ関係者に言われ、驚きとうれしさを感じた。「好きに描いていいと言ってくれた。かえって気を引き締めました。ウソは描くまいと」
名物は、狩りたての獲物をアシㇼパが料理するシーンの数々。「一緒にご飯を食べることは、敵味方の関係や文化差を超える力があると思う」。アシㇼパの好物「生の脳みそ」も、エゾジカのものを実際に食べてみた。「あったかいグミみたいな食感でした」
■手塚にとっての壁

ほぼ同時代の北海道を描いた冒険活劇として、手塚治虫の『シュマリ』(1974年)が知られる。
主人公シュマリはアイヌと和人の間に生まれたヒーローという構想だった。それが北海道に渡った元武士に変わったのは、<征服者である内地人であるぼくが、被害者であるアイヌの心情などわかるはずがないと悟ったからです>(79年、講談社全集版あとがき)。シュマリは最後までアイヌの側に立って戦うが、手塚にとって苦い一作だったかもしれない。15世紀のアイヌを描いた石坂啓さんの『ハルコロ』(原作・本多勝一、監修・萱野茂、89年)はあるが、近代史におけるアイヌを本格的に描いた作品は現れなかった。
時代の変化もあろうが、手塚が超えられなかった「壁」を40年後に突破した意味は大きい。本作でアイヌ文化への一般的関心が高まり、アシㇼパは2019年、大英博物館で開かれた「Manga展」のキービジュアルにもなった。しかし、「あくまで入り口と考えてほしい」と野田さん。「娯楽作品なので、わかりやすさと面白さを重視しているし、アイヌ文化のことは物語の一要素でしかない。深く知りたい方は学術書を読んでください」
舞台が樺太やロシア帝国のシベリアにまで広がるスケールにも驚く。単行本カバー見返しの<カント オㇿワ ヤク サㇰ ノ アランケㇷ゚ シネㇷ゚ カ イサㇺ>はアイヌ文化研究者として著名な萱野茂さんが好んだ言葉で「天から役目なしに降ろされた物はひとつもない」の意。「物語がだんだんこの言葉に近づいてきた感がある。誰もがそれぞれの正義で、自分の役目を全うしようとする。そこをフェアに描きたいんです」