緑のワニは令和の「上杉和也」になったか?

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

編集委員 石田汗太

・きくちゆうき『100日後に死ぬワニ』(小学館)

きくちゆうき『100日後に死ぬワニ』(小学館)
きくちゆうき『100日後に死ぬワニ』(小学館)

 島本和彦さんの『アオイホノオ』(小学館)は、島本さんの自伝的マンガであるとともに、1980年代サブカルチャーへの鋭い批評が含まれていて面白い。その最新22巻に、「週刊少年サンデー」で連載されていたあだち充さんの『タッチ』の衝撃的展開に、島本さんの分身、ホノオモユルがぼう然とするくだりが出てくる。82年末のことだ。

 大学生の私もリアルタイムで「サンデー」を読んでいたので、ホノオの気持ちがよく分かる。後にも先にも、連載マンガでこれほどのショックを受けたことはない。ホノオの言葉を借りれば<これは…マジか!?>というやつだ。次の号が出るまでの1週間が、いかに長かったことか。

 当時、島本さんや、私たちサンデー読者が味わった、体が震えるような衝撃を、今の読者が感じるのは難しいだろう。それが特権的な体験だったと言いたいわけではないが、雑誌でマンガを読むのが普通だった時代には、そういうことが結構よくあった。

 本書『100日後に死ぬワニ』の基になったのは、昨年12月から今年3月にかけてのツイッター4コマ連載。それを毎日リアルタイムで読んでいた人は、おそらく同じような体験をしただろうと想像する。

 話題になっていたのは知っていたが、私は連載時に読んでいない。作者の意図は、タイトルで最初から明示されている。何となく『タッチ』で受けたトラウマを思い出し(ついでに『舞姫 テレプシコーラ』や『DEATH NOTE』なども思い出し)、正直に言うと、あまり積極的に読む気がしなかった。

 興味が湧いたのは、本作が3月20日に完結してからだ。連載中は好意的な評ばかり集めていた本作は、一転“炎上”にさらされる。その経緯はネットで様々に分析されているので、ここでは説明しない。そういう外部の騒ぎを抜きにして、「マンガとして純粋に面白いのかどうか」が気になってきたのである。

 主人公は緑色のワニ。独り暮らしで、バイトで生計を立て、趣味はテレビゲームくらいで、将来のビジョンがまったくない。どこかフワフワした若者である彼の「何でもない日常」が淡々と描かれる。4コマ目の後には、「死まであとX日」という不穏なカウントダウンが毎回付いている。

 本書を読みながら、もう一つ連想する作品があった。山本直樹さんの『レッド』(講談社)だ。連合赤軍のあさま山荘事件を描いたこの作品では、主要な登場人物に「番号」が振られている。それは若者らが将来リンチなどで死ぬ順番だ。この趣向が、物語に異様な緊張感を与えているのだが、本作にも、どこかそれに通じるシュールな感覚がある。

 何もなかったワニに、50日目あたりから転機が訪れる。縁がないと諦めていた彼女への思いが通じたり、プロゲーマーへの夢を抱いたり。そして道端の桜が満開になった日、ワニは運命の100日目を迎える……。

 38年前の『タッチ』を読み返すと、あだちさんが、「それ」を予感させる伏線をさりげなく張っていることに驚かされるが、本作においても、作者のきくちさんがかなり周到に〝予兆〟を仕込んでいることに気づく。冒頭で親友のネズミがバイク事故に遭っているし、「死」という単語がセリフで様々にリフレインされる。それによって、読者は無意識のうちに、ラストに向けての心の準備をすることになる。

 この連載の仕掛けは、かなりよくできたもので、毎日更新で読んでいた人は、得がたいマンガ体験をしただろう。逆に言えば、私のように、事後に紙の単行本で読む人は、もう同じ体験を味わうことはできない。それは、3月20日に、読者の間だけで共有された、一度きりの特別な何かなのだ。

 こうした「イベント感覚」を、紙の雑誌不振の時代に、ネット上で再現してみせたことが、本作の最大の手柄だろう。さらに、ワニの運命を不幸や悲劇として描くのではなく、私たち誰もが、いつかは「X日後に死ぬ○○」なのだと気づかせてくれるところもいい。うれしくない偶然だが、今のような未曽有の状況においては、それが一層身にしみるのだ。

 「メメント・モリ」というラテン語の有名な言葉があるが、手塚治虫以後の日本マンガは、日常にぽっかり穴があくような「死」を忘れるなかれと、(しつ)(よう)に読者に訴えてきたように思う。そういう意味では、本作は、正しく戦後マンガの伝統に連なった作品なのである。

 最後に、ちゃぶ台をひっくり返すようで恐縮だが、あえてへそ曲がりな読み方も提示したい。

 ワニが最後にどうなったかという明確な描写は、実は本作にはない。こんなタイトルだから、「あとX日」と書かれているから、読者が勝手にそう思い込むだけであって、ワニがまだ生きているという解釈も、十分あり得ると私は思う。

 この場合、作者がどう意図したかは、(失礼ながら)あまり問題ではない。作品は、発表された瞬間に作者の手を離れて、読者ひとりひとりの心にすみつく。誤読・曲解・独り合点、何でもあり。それもまた、マンガを読む大きな楽しみだと思うのです。

 *石田編集委員のコラム、過去の記事はこちら

 *石田編集委員は、読売新聞の英字紙「The Japan News」の連載「Kanta on Manga」でも、いまプッシュしたいマンガを紹介しています。

プロフィル
石田 汗太( いしだ・かんた
 編集委員。1984年入社。岐阜支局、文化部、中央公論新社などを経て2017年10月から現職。文化部では主に文芸、マンガ、アニメなどを担当。

無断転載禁止
1167703 0 一押しマンガ 2020/04/16 05:00:00 2020/04/16 16:40:27 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/04/20200415-OYT8I50010-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

アクセスランキング

新着クーポン

NEW
参考画像
10000円9000円
NEW
参考画像
クーポンご提示のお客様に粗品プレゼント
NEW
参考画像
4200円3780円
NEW
参考画像
1560円1300円

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)
ページTOP
読売新聞社の運営するサイト
ヨミダス歴史館
ヨミドクター
The Japan News
発言小町
OTEKOMACHI
ささっとー
元気ニッポン!
未来貢献プロジェクト
YOMIURI BRAND STUDIO
美術展ナビ
教育ネットワーク
活字・文化プロジェクト
よみうり報知写真館
挑むKANSAI
読売新聞社からのお知らせ