読んでなくても熱く語れ! 読書の秋の名著×友情マンガ
完了しました
・

秋の読書週間の名物、10月末の毎日新聞の「読書世論調査」と「学校読書調査」が、今年は掲載中止になった。コロナの影響で実施が困難になったという。これは寂しい。
「読書世論調査」は1947年から、「学校読書調査」は1954年から、ほぼ毎年行われてきた。日本人の読書行動の定点観測としては最も歴史の長い調査で、ライバル紙ながら毎年楽しみにしていた。「学校読書調査」を毎日新聞と共同で行っている全国学校図書館協議会に聞いたところ、コロナ禍で授業時間が圧迫されたため、この調査で、児童生徒や先生にさらに負担をかけるわけにいかないという、苦渋の決断だったそうだ。
マンガは読書に入る? 入らない?
私が両調査に注目していたのは、活字本のみならず、「マンガの読まれ方」をしばしばテーマにしてきたからでもある。例えば、2017年10月26日の「第71回読書世論調査」では、「マンガやアニメを日本独自の文化として誇りに思うか」という質問に対し、「思う」が65%に達している。「思わない」は、わずか5%にすぎない。
また、2015年10月27日の「第61回学校読書調査」では、「活字をたくさん読む子どもほどマンガも積極的に楽しむ傾向」があると指摘されている。つまり、マンガは活字離れの元凶ではないということだ。「マンガを教育に役立てるべし」という大学教授の談話もあって、これはある意味〝歴史的転換点〟ではないかと思う。
一方、「マンガを読んでも読書とは言えない」と考える人もまだまだ多い。読売新聞が運営する女性向け掲示板「発言小町」で、2016年に「マンガは読書の
うーん、どっちなんだ。
「読まずにすませろ」と言ったショーペンハウアー

ドイツの哲学者ショーペンハウアー曰く――。
<読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない>(『読書について』斎藤忍随訳、岩波文庫)
何と「本を読みすぎると、自分の頭でものを考えられないバカになるぞ」と言っているのだ。実はこれ、施川ユウキさんの『バーナード嬢曰く。』からの孫引きだ。私は『読書について』を、てっきり読書のススメだと思っていた。びっくりして元本の岩波文庫を読むと、<したがって読書に際しての心がけとしては、読まずにすます技術が非常に重要である>とまで書いてある。ショーペン先生、そんなこと言っちゃっていいんですか?
今回紹介する『バーナード嬢曰く。』は、まさに、ショーペンハウアー流の<読まずにすます技術>についてのマンガだと言える。
読まずに「読書家キャラ」になりたい

主人公・町田さわ子は、活字が苦手なのに「読書家キャラ」に憧れる女子高生。「バーナード嬢」(バーナード・ショー?)は自称で、略して「ド嬢」と呼ばれる。いつも学校図書室に入り浸っているが、本への集中力は5分と続かない。それでも読書家と呼ばれたいさわ子の野望は、果たしてかなうのか……。
本好きが聞いたら目をむきそうな設定だが、実はかなり真面目な「読書マンガ」である。図書室の常連には、シニカルな秀才・遠藤、図書委員でザ・文学少女の長谷川スミカ、ガチのSFオタクである神林しおりがいて、読まずにラクしたがるド嬢に、様々なツッコミを入れまくる。そのやりとりが、対象となる本の絶妙なレビューになっているのだ。
『読書について』もその一冊だが、テッド・チャン『あなたの人生の物語』(浅倉久志他訳、ハヤカワ文庫)や、ブッツァーティ『タタール人の砂漠』(脇功訳、岩波文庫)、吉村昭『
ド嬢にもニワカなりのこだわりがあり、例えば「あらすじでわかる世界の名作文学」的なものをきっぱり否定する。
<あらかじめ仕組まれた お仕着せのあらすじで 読んだ気になるなんて/読んでない本を読んだ気になるのに 楽をするな!!>
そのくせ、村上春樹翻訳ライブラリー『グレート・ギャツビー』(スコット・フィッツジェラルド、中央公論新社)1冊で、村上春樹を読んだことにして、さらに一石二鳥で、現代アメリカ文学も「
しかし、本に対する熱意だけは本物。ド嬢と図書室の仲間たちは、様々な名著や話題作を媒介として、気の置けない友情を育んでいくのである。