編集委員 石田汗太
鶴淵けんじさんが2018年から「青騎士」(現在は「ハルタ」)で連載している『峠鬼』(KADOKAWA、既刊3巻)は、もっとも新しい鬼マンガの一つ。鬼のルーツと関わりの深い、古代日本の呪術師を描くファンタジーだ。
古き神々が滅びゆく時代
鶴淵けんじ『峠鬼』(KADOKAWA)。絵は現代風だが、役小角の新解釈に挑む本格ファンタジー <遠く昔のそのまた昔 山に神…… 峠に鬼がいるとされた頃の話……>
世の禍福が、神様のおぼしめしと信じられていた倭の国の時代。山村に住む少女・妙の家の戸口に「白羽の矢」が立つ。1年後、妙が供犠として村の氏神「切風孫命神」にささげられることが、御神籤によって決まったのだった。自分が逃げれば、村にどんな祟りがあるかわからない。親を亡くし天涯孤独の妙は、運命を受け入れ、神事の日を待っていた。
妙の村に、都で評判の道士がお供を2人連れて現れる。その名は役小角。お供は弟子の前鬼と後鬼。鬼といっても、前鬼は銀髪の少年、後鬼は仮面をつけた黒髪の女性だった。
小角は詐欺師まがいの怪しい男だったが、後鬼は妙に語る。民の崇敬の衰えで、古き神々はかつての<御権能>を失いつつあり、人の世に益や災いをもたらす力は、すでにない。だから、自分の運命は自分で決めていいのだと。
神事の日、小角が村はずれの社にまじないをかけると、妙と小角らは切風孫命神の神殿にいた。氏神は巨大な多頭の蛇だった。妙は神器「環蛇の鏡」をくぐって時を渡る不思議な体験をする。仮面を外した後鬼は未来の自分だった。後鬼はどこかに去り、妙は小角の新しい弟子として、滅びゆく神々を巡礼する旅に出る。
神話化された修験道の開祖
修験道の祖、役行者こと役小角は、修験道界では西暦2000年が「没後1300年」だったそうだ。諸説あるが7~8世紀の人らしい。歴史書では「続日本紀」に数行出てくる。文武天皇3年(699年)、葛木山(葛城山)に住む役小角が妖言で人々を惑わしたと、弟子の韓国連広足が朝廷に讒言し、小角は伊豆島(伊豆大島)に流罪になった。人々の噂では、小角は鬼神を呪で縛り付け、水汲みやマキ拾いをさせていたという。
公的な記録はこれだけだ。しかしその後、9世紀の仏教説話集「日本霊異記」や室町時代に成立した「役行者本記」などによって、様々な神話的エピソードが付け加えられ、日本古来の山岳信仰「修験道」の開祖に祭り上げられていった。以上は、宮家準『役行者と修験道の歴史』(吉川弘文館)による。
岡野玲子・夢枕獏『陰陽師』(白泉社)。平安時代の空気を現代によみがえらせた傑作。鬼マンガとしても比肩するものなし ここで、岡野玲子さんの『陰陽師』(原作・夢枕獏、1993~2005年「月刊メロディ」など、全13巻、白泉社)も、鬼マンガの系譜に加えておこう。日本の呪術師といえば、酒呑童子事件にも顔を出す安倍晴明の方が有名だろうが、役小角は300年前の大先輩にあたる。
小角の読み方にも諸説ある。『峠鬼』ではオヅノと読ませているが、宮家さんの本ではオヅヌで、銭谷武平『役行者伝の謎』(東方出版)によるとオスミ、コスミと読ませる例もあるという。銭谷さんはオヅミ説を主張している。
小角の頭には小さなツノがあったともいい、当人もかなり鬼っぽいのだが、鬼マンガ的に重要なのは、従者である前鬼・後鬼の存在だろう。「続日本紀」では鬼神としか書いていないが、後代の伝説では、小角が捕らえて使役したのは生駒山の2匹の鬼、それも赤鬼と青鬼ということになっている。
鬼は白馬のナイト、小角はお姫さま
役小角と前鬼・後鬼を初めてマンガに登場させたのは、私の知る限り、またしても永井豪さんだ。
1976年に「週刊少年マガジン」に連載された『手天童子』の前に、「月刊プリンセス」(秋田書店)に掲載されたプロトタイプの読み切り版(75年)がある。最初は少女マンガだったのだ。初出時タイトルは『手天童子』だったが、その後『邪神戦記』と改題された。
永井豪SF怪奇傑作選『邪神戦記』(講談社)。巻末の「天女カラス」は初収録の未発表作 女子中学生・小角ゆうのクラスに手天童子郎という謎めいた美少年が転校してくる。ゆうは担任教師が校内で殺されるのを目撃するが、死体は消えていた。ゆうは役小角の直系の子孫で、学校は小角の呪縛を解いた古代の邪神に支配されていた。ゆうの危機に子郎が現れる。彼の正体は役小角を守る前鬼だった。
中学生だった私は、この作品を読むまで、役小角なんて聞いたこともなかった。ただ、前鬼という、ナイトのように「かっこいい鬼」がいて、ヒロインを守るという設定は、非常に強く印象に残ったのである。
鬼の変身ヒーローも登場
マガジン版『手天童子』では、少年マンガらしく、小角ゆうのポジションが子郎に変わり、子郎を守る戦鬼(前鬼)と護鬼(後鬼)が登場する。役小角伝説の要素を加えることで、「正義の鬼」という設定を可能にしたのが永井さんの大発明だ。水戸黄門と助さん・格さん、あるいは三蔵法師と孫悟空のような関係と言えるだろう。
谷菊秀・黒岩よしひろ『鬼神童子ZENKI』(集英社)。1995年にテレビアニメ化されている これを発展させた王道ヒーローものが『鬼神童子ZENKI(ゼンキ)』(原作・谷菊秀、漫画・黒岩よしひろ、1992~96年「月刊少年ジャンプ」、全12巻)だ。役小角の子孫・役小明がドジっ娘の新米呪術師で、前鬼がヤンチャな暴れん坊というところが、いかにも90年代ジャンプ風。鬼がモチーフの変身ヒーローでは、平成ライダーシリーズで異彩を放つ『仮面ライダー響鬼』(2005~2006年)の秀逸なデザインも忘れがたい。
後鬼は、本当は女の子だった?
さて、『峠鬼』で、前鬼と後鬼はどう描かれているか。
前鬼の善は、飢餓地獄で人を喰ってしまったが故に、鬼になった少年。普段は小角がつけた首のタガで封印しているが、タガを外すと巨大なツノが現れて凶暴化する。善が小角の弟子になったのは、古代の神の力で、鬼から人間に戻してもらうためだ。
一方、後鬼となる妙は、まったく普通の女の子。『手天童子』でも『ZENKI』でも、後鬼は男性だったので、斬新だなあ……と思っていたが、「役行者本記」などでは、前鬼と後鬼は夫婦鬼になっていることを、資料を読んで初めて知った。現存する後鬼の木像も、前鬼に比べて優しい印象。後鬼が女性の方が本来の伝説に近いのだ。2匹の鬼を善童子、妙童子とも呼ぶそうだから、善と妙の名は、ここから取ったのかもしれない。
山に棲む異人や、朝廷にまつろわぬ先住民が、鬼に擬せられたことは前回も書いた。葛城山や生駒山には「土蜘蛛」と呼ばれる土着の民がいて、朝廷に反逆したと伝えられる。そこで修行した小角は、音がカミに通じる賀茂氏の一族というから、鬼とも縁が深い。ちなみに、安倍晴明の師は、当時陰陽師の第一人者だった賀茂忠行である。
前回紹介した星野之宣さんの『宗像教授』シリーズでは、鬼伝説と製鉄文化との関係が考察されている。鍛冶や製鉄に必要なのは火力であり、それをおこす炭であったはずだ。銭谷さんの本でも、小角をオスミと読む可能性を、そこに求めている。
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