「ぺこぱ」の全肯定の笑い マンガで見事に表現
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・宮崎周平『僕とロボコ』(集英社、既刊3巻)
お笑いそのものには詳しくないし、さほど好きというわけでもない。それでも、2019年12月、若手漫才師の日本一決定戦「M-1グランプリ」で3位に輝いた「ぺこぱ」の漫才には衝撃を受けた。
漫才には確固たる役割分担がある。ボケ役が変なことを言い、ツッコミ役が否定しつつ、たしなめる(時にドツく)というのが基本パターンだ。ところが、「ぺこぱ」の漫才では、ツッコミの松陰寺太勇は、ボケのシュウペイを否定しない。すっかり有名になった「悪くないだろう」「時を戻そう」「人それぞれだ」「何を言ったっていい」などのフレーズで、どんなボケも優しくフォローする。
同大会の優勝コンビ「ミルクボーイ」もめっぽう面白かったが、こちらはボケとツッコミがどんどん加速する、鉄壁の王道スタイル。それに比べて「ぺこぱ」の漫才は、アバンギャルドで綱渡りのようだ。同じお笑いなのに、この対比は何とも強烈だった。
「ジャンプ」の中に「ぺこぱ理論」を見た
「ぺこぱ」は優勝こそ逸したが、以後のブレイクぶりを見れば、その革新性に誰もが脱帽したということだろう。「時代の転換点を目の当たりにした」と激賞した先輩漫才師もいた。

しかし、「ぺこぱ」の何が面白いのかを、言葉で語るのはなかなか難しい。「全肯定漫才」「多様性漫才」などと評されるが、あまり説明になっていないように思う。
そのヒントのかけらを、「週刊少年ジャンプ」の中に発見したときは、ちょっと興奮した。「あ、これで『ぺこぱ理論』を説明できるかも?」と思った。
それが、今回紹介する宮崎周平さんの『僕とロボコ』である。
あの国民的マンガのパロディー
美少女メイド型ロボット・オーダーメイド(OM)が家庭に普及している時代。小学5年生の

第1巻の表紙がすでに〝出オチ〟になっているが、設定は『ドラえもん』のあからさまなパロディーだ。メガネ少年のボンドはほとんど「のび太」だし、「ジャイアン」的なガチゴリラ、「スネ夫」的なモツオ、「しずちゃん」的マドンナの
ところが、読むほどに目を見張る。展開される笑いが、とにかく予想を裏切るのである。
ジャイアンに似て非なる「ガチゴリラ」
たとえば第2話で、ボンドの家がまだOMを持っていないことをからかおうと、ガチゴリラとモツオがボンドの家に向かうシーン。
ゴリラ 今日もボンドにメイコ(モツオの美少女OM)を自慢しまくってやるウホ!
モツオ あいつ きっとまだ買ってもらってないよ!
ゴリラ これでもかって程 現実の厳しさを教えてやる!
モツオ さっすが ガチゴリラ!
ゴリラ これを糧に ひとまわりもふたまわりも成長して
モツオ ホント 最高だよガチゴリラ!
もう一つ、第9話で、ガチゴリラが、ボンドからマンガの単行本をぶんどる場面。
ボンド 返してよォ!! 買ったばかりの新刊なんだ!!
ゴリラ いいか?
ボンド !?
ゴリラ そうやって少しずつ…分け合って…支え合って…楽しいコトは倍にして 悲しいコトははんぶんこ…それが…「友達」なんじゃ…ねぇのかな?
ボンド …ッ!!(何も言えねぇ…!!)
この後、ガチゴリラは、ニヤニヤしながら、同じ巻の特装版(ふろく付きの高い本)をボンドに渡す。「マンガ好きのお前には こっちの方がお似合いだ」と。
文字で書くと、面白さがいまいち伝わらないかもしれない。ぜひマンガで読んでほしい。私はこれらのシーンに、「ぺこぱ」の漫才と同質のものを感じるのだ。