真山仁と話し合った…コロナ禍の子どもたちが心配だ
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先週の3月11日、東日本大震災から10年を迎えました。職場の自席にいた私は、発生時間の14時46分、NHKニュースの追悼式の生中継を見ながら、座ったまま1分間の黙とうを行いました。
東北、特に岩手県には思い入れがあります。2015年2月から2016年3月まで、盛岡支局長として岩手県に赴任していたからです。震災のほぼ4~5年後のわずか1年2か月でしたが、四季折々の自然の美しさと住む人の温かさ、酒と料理のうまさは今でも忘れられません。
小説家になった同期のY君

当時、本紙の岩手県版に「北上川」というコラムがあり、私も不定期で書いていました。この中から、赴任して約1か月後に書いたコラムをご紹介します。
30年近く前、初任地の岐阜支局に、Y君という同期の記者がいた。
エネルギッシュで、常に問題意識を持って取材していた。私が「静」なら、彼は「動」。行きつけのスナックで2人、バーボンのグラスをなめながら仕事の愚痴をこぼし、バカ話に花を咲かせ、青臭い議論を戦わせた。カラオケでデュエットもした。
入社3年目の秋、彼は社を辞めた。私よりずっと新聞記者に向いていると思っていたが、もともと小説家志望。フリーライターとして不安定な収入を得ながら、小説を書き続けた。

そして2004年、ある経済小説で鮮烈なデビューを果たす。NHKドラマにもなった「ハゲタカ」。Y君、筆名・真山仁がその後、「マグマ」「ベイジン」など、現代社会の影を鋭くえぐる作品を次々と発表しているのはご承知の通りだ。
最新作は、東日本大震災直後の被災地が舞台のミステリー。リアルな被災地描写の中、筆者が考える新聞記者のあるべき姿が、主人公と他の記者たちとの対比で浮かび上がる。もしY君が今も記者を続けていたら――。3・11を前に、そんな想像をしつつ読んだ。
本のタイトルは、「雨に泣いてる」。私の世代では、柳ジョージ&レイニーウッドの曲を思い出す。それを意識したのかどうか、今日8日に盛岡市内で開かれる彼のトークショーで、ぜひ聞いてみたい。(山口博弥)
ちなみに、記者時代にカラオケでよくデュエットしたのは、女性デュオ「あみん」のデビュー曲「待つわ」(1982年)。彼が主旋律、私が低音のパートでハモっていました。気持ち悪いですね~(笑)(以下、彼のことは、親しみを込めて「真山君」と記載します)。
二つの震災見つめ、次々と作品に
彼は「ハゲタカ」でデビューし(違うペンネームでの共作の著書はその前にありますが)、その後も数多くの経済小説を出しています。それでつい誤解されがちなのですが、新聞記者時代、特に経済分野を熱心に取材していたわけではありません。むしろ警察取材に熱心で、私と飲む時はよくこう話していました。「ミステリーや、山崎豊子のような社会派の小説を書きたい」。ですから「ハゲタカ」は、彼が一から経済を学び、徹底的に現場と関係者を取材して完成した作品なのです。
大阪出身の真山君は、フリーライターだった1995年、阪神大震災を神戸市内のマンションの1階で体験。この時は圧死を覚悟したそうです。小説家になった後、東日本大震災の被災地にも度々足を運び、二つの震災を見つめてきました。そんな彼が震災の小説を書くのは、必然と言えるでしょう。

「北上川」で触れた「雨に泣いてる」も東日本大震災がテーマですが、教師を主人公に「阪神・淡路」と「東日本」の二つの震災・被災地をつなぐシリーズとなった小説が、「そして、星の輝く夜がくる」(2014年3月)、「海は見えるか」(2016年2月)、先月発売された「それでも、
阪神大震災で妻子を亡くした小野寺徹平が、東日本大震災で被災した東北の小学校に応援教師として赴任、子どもとの交流の中で様々な問題と向き合っていく。最新刊の「それでも…」では、小野寺が神戸に戻り、震災を語り継ごうと新たな展開が広がります。社会派の彼らしく、原発事故、ボランティア、震災遺構、住宅、五輪、産業誘致など、今も被災地や日本という国が抱えるひずみを浮き彫りにします。
「しなやかで逞しい」子どもたちが負った心の傷
本コラムは「医療」がテーマなので、今回は「海は見えるか」で描かれている「子どもの心の問題」について書きます。この作品には、震災でトラウマ(心の傷)を抱えた子どもが登場しますが、心の病気やトラウマ治療について度々取材したことのある私が読んでも、とても納得のいく内容です。さすが、真山君ならではの徹底した事前取材のたまものでしょう。