編集委員 祐成秀樹
昨年、ベートーベンが生誕250年を迎えたため、その生き方を題材にした舞台が相次いで上演されました。2021年3月現在では、宝塚歌劇団雪組が「fff―フォルティッシッシモ―~歓喜に歌え!~」を上演中。その前は、稲垣吾郎さんの主演作、ベートーベンが登場しない意欲作も注目されました。そこで、今回は三つのベートーベン舞台にスポットライトを当てます。
ベートーベンは1770年ドイツ生まれ。フランス革命後の混沌とした欧州で、旧来の作曲家のように貴族や王族に奉仕するのではなく、自由な市民として創作をし、聴力を失いながらも斬新で力強い曲を生み出しました。同時代に生きたナポレオンに対しては革命を欧州全土に広めてくれると当初は共感して交響曲第3番「英雄」を作曲しますが、彼が皇帝になったために激怒したというエピソードは有名です。一方、数多くの恋文を残しつつも、相手が身分の違う貴族の女性だったことなどから恋は成就せず、一生独身を貫きました。その生涯は実にドラマチックなので、作り手は腕のふるいがいがありそうです。
宝塚「fff」 みなぎるエネルギー
(前列左から)ゲーテ役の彩凪翔さん、ベートーベン役の望海風斗さん、ナポレオン役の彩風咲奈さん。背後にはモーツァルトや智天使ケルブの姿も (C)宝塚歌劇団 余韻が残っているのは、3月3日に東京宝塚劇場で見た「fff」です。作・演出は上田久美子さん。題名は、とても強い演奏を求める音楽用語「ff(フォルティッシモ)」より「さらに強く」という意味で、ベートーベンの音楽にみなぎるエネルギーが感じられます。
冒頭は、3人の天使が吹く「運命」第4楽章のファンファーレ。ここは天国の扉で、バッハは通り抜けられたものの、後に続くテレマン、モーツァルト、ヘンデルは止められます。彼らは、神から授かった音楽を貴族の娯楽にしたとして裁きを待っており、後継者のベートーベンが音楽を何のために使うか見届けるよう命じられます。
神の視点と時代の精神
彩風咲奈さん(左)と望海風斗さん (C)宝塚歌劇団 続いて、望海風斗さん演じるベートーベンがオーケストラピットに登場。交響曲第3番「英雄」を指揮して「もっと大きくゲーテのように」「もっと強くナポレオンのように」と叫びます。ここの演出が面白かった。この公演は「密」対策で、オーケストラ演奏は行わずピットは空にしていますが、そこに雪組メンバーが楽員役で入り、踊るような動きで情熱的な演奏を表現したのです。やがて、ゲーテとナポレオンも登場。旧秩序の解体や市民の台頭などで激動した19世紀を象徴する3人が勢ぞろいして勇壮な三重唱を歌い上げました。
このプロローグから読み取れる通り、「fff」は、歴史を俯瞰する神の視点を持ちながら、時代の子としてベートーベンとナポレオンを並列して描き、両者を見守る存在としてゲーテが活躍します。
「運命」で大群舞 名曲を宝塚らしく
「英雄」初演後の楽屋での得意げなベートーベン、ピアノソナタ「月光」とともに演じられる劇中劇と失恋、幼少時の父親の暴力と貴族への反感、ナポレオンの戦闘と戴冠式、裏切られたベートーベンの失望、ゲーテのナポレオンへの忠告、砲声が響く中での「運命」の作曲、ゲーテと対面したベートーベンの落胆――。多数のエピソードを大胆な発想で、宝塚らしく華やかに見せたり、心に刺さる歌やセリフとともに紡ぎ出したり。また、夢の中で両雄が意気投合した結果「運命」が完成して兵士たちが踊り出すなど、名曲を大胆に使った奇想天外な場面も楽しかったです。
楽聖に肉薄 望海さん&真彩さん奇跡の歌声
真彩希帆さん(左)と望海風斗さん (C)宝塚歌劇団 何より素晴らしかったのは、今作で退団するトップスター・望海さんとトップ娘役の真彩希帆さんの歌声です。望海さんは苦悩する時の彫りの深い演技と、それでも前に進もうとする情熱的な姿、目の輝きにも引き付けられました。終盤、それこそ「fff」の音量で長時間朗々と歌い続けたのには驚きました。なんて強いノドなのでしょう! このエネルギッシュな姿こそベートーベンです。
対する真彩さんは、ベートーベンに寄り添う「謎の女」役。彼が聴力を失った後も、その美しい声だけは認識できるという。謎めいていてイライラする存在でありながら、作曲家は頼らずにはいられない。その絶妙な距離感を笑いも交えて演じられたのも名コンビならでは。美しく輝かしい声を持つ真彩さんが演じたからこそ、絶望を歓喜に変えるきっかけとなり、楽聖の内面に響く音楽を象徴するといった神秘的で難しい役柄が成立したと思います。
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