ボリショイの喝采にも冷静、妥協しないバレエ愛…牧阿佐美さんの思い出

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

編集委員 祐成秀樹

牧阿佐美さん
牧阿佐美さん

 世界レベルとなった日本バレエ界の母とも言える牧阿佐美さんが10月20日に87歳で亡くなり、文化勲章を受章しました。スターダンサーではなかったものの、バレエ指導者、バレエ界のリーダーとしての存在感は抜きんでています。私自身、舞踊担当記者として、数々の貴重なお話をうかがいました。そこで、今回は牧阿佐美さんにスポットライトを当てます。

 牧さんは日本バレエの草分けの一人だった橘秋子さんの長女。お母さんを始め帝政ロシア時代のバレエの流儀を知る名教師たちにも師事しました。1956年に橘さんと牧阿佐美バレエ団を結成。30代でダンサーを引退し、創作や指導、経営に専念します。99年から2010年まで東京・新国立劇場の2代目舞踊芸術監督を務め、同バレエ団の実力を引き上げました。一方、世界に通じる才能を育てるため、プロを目指す生徒を選抜し、自ら教える独自のシステムを作り、草刈民代さん、上野水香さん、青山季可さん、金森穣さん、久保紘一さんらを輩出しました。

逆風の中、新国立劇場バレエ団を育てる

現役時代の牧さん(1968年)
現役時代の牧さん(1968年)

 私が文化部の舞踊担当になったのは2000年。当時、牧さんは、新国立劇場の舞踊芸術監督になって2年目。今の隆盛ぶりからは想像し難いですが、当時の新国立劇場バレエ団には逆風が吹いていました。人気作品の上演や外国人ゲストの招請など目立った活動をすると「民業圧迫」と批判されました。そして、薄いダンサー層を補うため、牧阿佐美バレエ団の団員を出演させると「公私混同だ」とも責められました。実際、主力ダンサーを提供してダメージを受けたのは、牧バレエ団でした。師である母らバレエの草分けたちの悲願だった国立劇場のバレエ団を育てるために献身したのです。

問題点を追及するはずが、返り討ちに

 鮮烈に覚えているのは、02年に「開館5周年・新国立劇場を診る」という連載に合わせて行ったインタビューです。逆風に乗って「あらゆる問題点を (ただ) してやる」なんて気負って臨みましたが、“返り討ち”に合ったのです。最初、穏やかに質問に答えていた牧さんでしたが、やがて、私が気付いてなかった諸課題、現状への不満、あるべき姿などを強い口調で語り出したのです。ここまで考えているのかと、目を丸くして聞くうちに2時間が過ぎていました。結局、連載では、牧さんが「育成」と「集客」の間で悩み、模索する様を書きました。その時に聞いた話が、新国立をウォッチする上でのポイントになったのです。

新国立劇場の稽古場で「白鳥の湖」を指導(2002年)
新国立劇場の稽古場で「白鳥の湖」を指導(2002年)

「こうもり」「マノン」…力作で風向き変える

 その逆風ですが、牧さんは、優れた新作の発表を重ねることで少しずつ鎮めていきました。思い出すのは、02年の「こうもり」初演。作者は牧バレエ団と関わりが強い世界的振付家ローラン・プティさんで旧作のリメイクです。身近な人物の起用ですから、失敗したら「公私混同」論者が色めき立ちそうな雲行きでした。ただ、開幕するや不安は消えました。ダンサーたちは、プティさん独特のしゃれた振り付けを生き生きとこなし、新調した舞台美術もスタイリッシュ。終演するや大拍手でした。今でも劇場のレパートリーとして愛されています。

 ちなみに、牧さん自身が「最も印象に残った作品」として挙げたのは、03年初演の「マノン」。高度な技術に表現力も要し、醜く見えることも (いと) わず演じないといけない難しい作品です。牧さんは「日本人には踊れないと言われた大作を上演できた。評価が上がり、著名な振付家と交渉しやすくなりました」と回顧しています。

1

2

無断転載・複製を禁じます
スクラップは会員限定です

使い方
2491690 0 スポットライト 2021/11/04 10:00:00 2021/11/04 11:08:34 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/11/20211101-OYT8I50071-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)