「それでも」生きる 希望と覚悟
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文章を書く時、接続詞の「そして」の多用は勧められない。小学生のへたな作文みたい、と笑われる。でも、これが本や曲のタイトルに入ると、ぐっと魅力的になるから不思議だ。
例えば、アガサ・クリスティの有名な推理小説「そして誰もいなくなった」(1939年)。順接の接続詞が冒頭に来ることで、「誰もいなくなる前に、一体何が起きたのか」と想像力をかき立てられる。
大沢誉志幸さんのヒット曲「そして僕は途方に暮れる」(84年)も秀逸だ。彼女に去られた切ない思いをつづる歌詞。その締めのフレーズが曲名になった。
たかが接続詞、ではある。だが記者は今、逆接の接続詞「それでも」に、名状し難い重みを感じている。

フジテレビで2011年7~9月、あるドラマが放映された。その質の高さから、数多くの賞を受けた。
未成年の男による幼女殺害事件が発生。被害者の家族は崩壊し、加害者の家族は嫌がらせから引っ越しを繰り返していた。15年後、被害者の兄(瑛太)と加害者の妹(満島ひかり)が出会い、双方の家族が再生へ向けて動き始める――。
ドラマのタイトルは、「それでも、生きてゆく」。壮絶な事件を機に「普通」に生きられなくなった人たちが、苦悩し、ぶつかり、日常を生きる。俳優たちの演技も、劇中に流れる辻井伸行さんのピアノ曲も素晴らしく、記者は毎回、姿勢を正して画面に見入った。
脚本の坂元裕二さんは、撮影終了後の出演者との座談会で、誰かと話す時はこの作品のタイトルを言わない、と語っている。
「タイトルをフルで言うと、いちいち自分が何かを覚悟しなくてはいけない気がするのかもしれない」